竹田昭彦・日誌(#06)・7月02日(土)  

大村湾の軍歴を見る

 
黄色生地に黒文字の指揮者のタスキ
=20116/7/2、東彼杵町役場前
 
 
人間魚雷の復元震洋1型艇
=2016/7/2、川棚町役場展示室
 
 
終点で網の目行進西海市コースと合流
=2016/7/2、ハウステンボス駅前
 
 今日は、東彼杵町の役場訪問と行進、川棚町、佐世保市の行進です。
 天気は、朝、晴れていたが、行進へ移ると雨が降ったり、止んだりの急変です。
 9時10分、東彼杵町役場前で出発集会が開かれ、町長、議長からのメッセージを行進実行委員会役員から披露されました。
 つづいて、本日の通し行進者、総指揮者、副指揮者の紹介がありました。
 長崎の行進では、県下の自治体毎に地域実行委員会があり、総指揮者、副指揮者がおります。指揮者名は、黄色地に黒字で書いたタスキを掛け(写真上段)、総指揮者が先頭で、副指揮者が最後部を歩きます。指揮系統がはっきり分かり、スムーズに進みます。
 県内の通し行進者は、吉居博文さん、山口和子さんの2人です。
 吉居さんは、手を大きく振って歩く元気な方です。
 その指導で、韓国青年のキムさんとイさんが大きく手を振って歩いています。この3人が、毎日、リレー横断幕を持ってリードしています。
 山口和子さんは、最後までの完歩に不安があるようで、「県内通し行進者」のタスキを遠慮しています。
 昼、昼休みが川棚駅前でしたので、近くの川棚町役場にある「郷土資料室」を訪ねました。
 そこには、特攻兵器の震洋の復元艇や魚雷発射試験場跡の写真などが展示してありました。
 川棚町には、戦前海軍工廠などがあり、かつ、波静かな大村湾一体が軍事基地になっていました。
 震洋は、物資不足からベニヤ板で造られ、特攻隊員が操舵し、敵艦に体当たり自爆する人間無視の特攻兵器です。
 1944年7月から終戦まで、6197隻造られ、三菱長崎造船所、日本造船鶴見工場、横浜ヨット、日本車輌、豊田織機などが請負ました。
 参照 http://www.takeda-a.net/09-8-02
 午後3時30分、行進が佐世保市のJR大村線のハウステンボス駅前へ着くと、西海市から出発した網の目コースの横断幕に迎えら、終結しました。
 西海コースは、3分ほど前に着くタイミングで、合流を喜んでおりました。
 今日の行進は、5区間を参加者40~30人前後で15.0km歩きました。

 
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