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竹田昭彦日誌(#30)8月02日(日) |
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〈 “特攻殉国の碑” 見学 〉 |
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今日は、川棚町、東彼杵(ひがしそのぎ)町の行進です。 |
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石碑の上部の4面に死没者名が刻まれた「特攻殉国の碑」=川棚町新谷郷 |
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出発集会が始まる前に、近くにある「特攻殉国の碑」(川棚町新谷郷)を見学しました。
その場所は、大村湾の北部に位置した波静かな入り江(小串湾)で、ハウステンボスの近くで、旧海軍の川棚臨時「魚雷艇」訓練所があったところです。
「魚雷艇」とは、「震洋」と呼ばれるベニヤ板製の1〜2人乗りの小型高速モーターボート(長さ5〜7m)で、艇首に爆薬(250〜300kg)を装備した特攻兵器です。山口県の平生町で見た「回天」と同じく、人間を全く否定した自爆兵器です。
「特攻殉国の碑」には、碑の上部の4面に特攻兵器の訓練や実戦で死没した特攻兵士、3511人の名が刻んでありました。
そのうち、魚雷艇「震洋」で亡くなったのは、約2500人です。 |
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出発式で挨拶する東彼地区平和行進実行委員長(右)=川棚町新谷郷 |
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9時45分、川棚町新谷郷のコンビニの空き地で、出発集会が開かれ、長崎県2日目の行進がスタートしました。
行進は、大村湾に面した国道205号線(平戸街道)を歩きました。
人家や歩道の無いところも多くありました。行き交う車が、渋滞気味になると、多くの車窓から手が振られました。車のスピードが落ちると、平和行進だと分かりやすいからです。
元気をもらい、アップダウンの続く道を、気分よく歩きました。 |
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夕食で美味しくいただいた赤米のおはぎ(左)と黒米のすし(右) |
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川棚町で泊まった宿の夕食で、珍しいご飯をいただきました。
宿(旅館川原)のご主人が、平和行進に参加しており、旅館業のかたわら稲作をしていました。そこで収穫した赤米と黒米のご飯です。
赤米は、小豆のあんを入れた、おはぎ風にしたもので、黒米は酢を入れた、すし風のものでした。黒米に酢を入れると赤色になるようです。見た目も、食べても、美味しい、創作ご飯の絶品です。
夕食を一緒にした森悦子さん、松浦宣孝さんと、美食談義が延々と続き、美味しさ倍増でした。
今日の行進距離は、区間により参加者40〜50人で11km歩きました。
沿道募金は、3560円いただきました。 |
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