竹田昭彦・日誌(#03)・5月13日(金)  

被爆者が先頭を歩く

 
出発集会で挨拶する被爆者の松本正さん(左)と門川恵美子さん
=2016/5/13、泉区・市営地下鉄立場駅前
 
 
返還させた米海軍「深谷通信基地」跡
=2016/5/13
 
 
紙皿を利用したアピール2016/5/13  
 
紙皿に書いたアピール=2016/5/13  
 今日は、神奈川県の行進へ参加です。
 コースは、私が住む横浜市の網の目コース(Bコース)で、泉区、戸塚区、栄区を歩きます。
 天気は、快晴で雲がありませんでした。
 午前9時45分、泉区の横浜市営地下鉄の立場駅前で出発集会が開かれ、被爆者の松本正さん(85歳)が挨拶しました。
 山本さんは、この4月から新たに始まった被爆者が世界に「核兵器の廃絶」を訴える署名運動を紹介し、取り組みを呼びかけました。
 10時過ぎ、行進へ移ると、山本さんと被爆2世の門川恵美子さん(69歳)が、青地に白字で大書した「核兵器廃絶」神奈川県原爆被災者の会の横断幕を持って先頭を歩きました。
 門川さんのお父さんは、被爆地で見た体験を子に一言も話さなかったそうで、他の被爆者の体験を語りついでします。
 神奈川の行進は、どのコースも、その「核兵器廃絶」の横断幕を先頭に歩きます。
 午前の行進コース(県道42号阿久和・鎌倉線)には、元米海軍の深谷通信基地跡があります。
 基地は、2014年6月に返還され、「国有地」の看板が立っていました(写真中段)。面積は、行進した道の両側に広がる77万余平米(㎡)です。
 この基地は、1941年に、旧日本海軍の通信施設としてつくられ、1945年に米海軍の送信所として接収されました。30基のアンテナを立て、西太平洋、インド洋、ペルシャ湾地域に展開する、米艦船や航空機へ送信したのです。
 なお、受信施設は、隣の瀬谷区の上瀬谷基地でした(返還済み)。
 毎年、このコースを平和行進が通り、基地返還を訴えてきました。地元をはじめ、県民の運動で返還させた現在、有効な活用を進めています。
 参照 http://www.takeda-a.net/14-5-13
 午後の行進では、紙皿に「平和憲法を守ろう!」「青い地球 平和な未来をこどもたちに」などと書き、リックなどに付けた女性が大勢見えました。
 手軽に出来るアイデアで、白地に映え、大いに感心しました。
 午後4時20分、栄区のJR本郷台駅前へ到着し、終了集会を開き、今日の行進が終わりました。
 参加者は、区間により130~50人(述べ200人)で11.6km歩きました。
 帰路、数人でそば屋によると、一人が「定年になったら通し行進をする」と話され、嬉しくなりました。

 
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