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竹田昭彦・日誌(#88)・8月07日(金) | ||||||||||||||||||||
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会場が静まり 胸を打つ | ||||||||||||||||||||
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天気は、晴れでした。 午後3時、長崎市民会館体育館で、長崎のつどいが開かれました。 開会前の会場で、偶然にも、長野県辰野町の行進(7月4日)を一緒に歩いた小学生(女子)の家族と再会しました。 その小学生は、私が持つリレー横断幕の後ろや、脇の歩道を歩いていました。何度か、リレー横断幕を持つように話すと、恥ずかしい様子で持ちません。それでも、興味があるようで離れません。タイミングを見て誘うと、持ちました。 夕暮れになり、歩道もない縦1列の車道になったので、危険だと思い「止めるかい」と話すと、首を横に振ります。間をおき、再度話すと、首を横に振ります。頑張る子だと思い、守りをかためました。 最後の区間は雨が降り、お父さんと歩きました。 伊那市に住む、小学2年生の馬場美伶ちゃんです。世界大会には、お父さん、お母さん、お兄ちゃん(高校1年生)と、4人家族の参加です。 美伶ちゃんは、夜の7時過ぎに着いた川岸駅まで、8km歩いたのです。 参照 http://www.takeda-a.net/15-7-04.html 午後4時30分、平和行進全国リレー横断幕を持って、通し行進者たちが壇上にのぼりました。発言したのは、「北海道→東京」コースの五十嵐成臣さん、「沖縄→長崎」コースの山内金久さん、海外から国際青年リレー参加のマギチン・ファブロスさんとゲレーロ・サニョさん、沖縄と九州6県の県内通し行進者です。 午後5時、文化の夕べがはじまり、番組の最後の合唱組曲 「平和の旅へ」は、会場に大きな感銘を与えました。進むにつれ、会場ははシーンと静まり、移動する人や、シャッターを切る人がいませんでした。長年参加した全体集会で、これほどシーンとしたのは、黙祷以外初めてです。 この曲は、当時16歳の渡辺千恵子さんが、学徒動員で働いていた工場で原爆にあい、下半身不随の身となります。被爆後の想像を絶する肉体的苦痛に加えて、絶望や虚無感といった精神的苦痛と闘い、母親の励ましを得ながら「長崎の語り部」として生きることに人生の意味を見いだします。そして、車椅子で核兵器廃絶を訴える「平和の旅」に出かけるようになるのです。この曲は彼女の半生を綴った、8曲の合唱と語りからなる約30分の構成組曲です。(「平和の旅へ」合唱団ホームページより) 腐れるゆく肉体をカミソリで削ぐなど、想像を絶する情景に、涙をこらえて聴きました。 そして、私の平和活動は、未だまだ足りないと、奮い立ちました。 |
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