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竹田昭彦・日誌(#68)・7月10日(金) | ||||||||||||||||||||
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天気は、しばらくぶりの快晴です。気温が上がり蒸し暑くなりました。 午前8時、宿を車で出発、1時間40分かかって南部町役場へ着きました。 午前10時、南部町役場の玄関で歓迎式が開かれ 、会計管理者から激励の挨拶を頂き、ペナントを託されました。 南部町は、名前の通り山梨県の最南部です。静岡県からの玄関で、富士川の上流に沿った町です。 午前10時45分、身延町の日蓮宗総本山身延山久遠寺の総門脇の広場で、吉村明悦執事・布教部長から、平和への願いが説かれ、激励を頂き、ペナントを託されました。 「雨にもまけず 風にもまけず」の作者宮沢賢治も、日蓮宗の信者だったそうです。 私が、4年前の行進でお会いしたことを覚えておられ、お会いした瞬間に「また来られましたね」といわれました。 再度お会いしたことは、私の心が和やかになり、平和行進を続ける大きな力です。 その場から、行進が出発して「開会関」と大書した額がある総門を通って身延道を歩きました。 参照 http://www.takeda-a.net/11-7-15.html 午後2時10分、身延町役場を訪問し、町長、副町長に迎えられました。望月仁司町長から激励の挨拶を頂き、ペナントを託されました。私の挨拶で、町長が同じ歳と分かりました。町長は1940年2月生まれで、学年は1学年上でした。父は戦地から帰還したが、叔父さんは南方で戦死したそうです。戦争反対を強調されました。 午後2時50分、身延町の「なかとみ和紙の里」駐車場で行進が終わりました。ここまで、約1km行進した身延町の旧中富町の西島地区は、和紙の産地です。習字用和紙の搬出作業中の工場前も通り、社員から手が振られ、激励を頂きました。 行進は、3区間を参加者10~15人で2.8㎞です。 |
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