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竹田昭彦・日誌(#53)・6月25日(木) | ||||||||||||||||||||
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天気は、晴れでした。 午前10時、柏崎市役所を訪問し、副市長とお会いしました。その後、議長とお会いしました。 議長は、原発については、色いろな論議があるとの事でした。 新潟県に落とした模擬原爆3個の一つが柏崎市です。今回、具体的なことが分かりました。場所は、刈羽村に近い長崎新田です。爆発した場所が窪地になり、水が溜まっているそうです。 教えて貰った大谷正二柏崎市原水協代表理事は、爆発で、妻の母が片方の耳が聞こえなくなったと話されました。田の草取りの時だったそうです。身近な証言で、びっくりしました。現地を見たかったのですが、時間的に間に合わず、あきらめました。 午後1時、柏崎市の潮風公園で出発集会が開かれ、行進へ移りました。 午後2時30分、柏崎市の行進は、JR鯨波駅で終わりました。昔は、このあたりまで鯨が、回遊して来たのだろうと思いました。そのことを、地元の人に聞いたが、不明でした。 午後6時、上越市の直江津にある「平和記念公園」から行進が出発し、30分ほどして海浜公園へ着きました。そして、柏崎市から上越市へ引き継ぎ集会が開かれ、今日の行程が終わりました。 ここの行進には、おばあちゃんに連れられた5歳の孫が、旗を持ちたがりました。国際青年リレー・タスキを掛けあげると、元気に歩き通しました。これまでの、国際青年リレー・タスキを掛けた最年少記録です。幼少のころの体験は、人生に大きく影響するようです。年配の人の話によると、小さいときから行進を見ていた子は、大きくなっても、家から出てきて手を振るそうです。 直江津の「平和記念公園」は、戦時中、連合国軍兵士の捕虜収容所があった場所です。港の荷役や近隣工場などで、強制労働をさせられました。疲労と寒さで多くの兵士が死にました。不再戦と友好を誓い、市民の運動で造られたのが「平和記念公園」です。資料展示館も併設してあります。「平和への門」をイメージした平和友好像は、足場を組み塗装作業中でした。 参照 http://www.takeda-a.net/10-7-01.html 行進は、3区間を参加者20~30人で6.4㎞です。 |
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