竹田昭彦・日誌(#06)・5月09日(土)  

海外の観光客も 署名
   街頭署名行動 旭川市  

 
さくら咲く旭川市を行進
=2015/5/9
 
 
外国人も署名
=2015/5/9、旭川駅前・平和通り
 
 今日は、旭川市の行進と街頭署名です。
 天気は、午前が晴れで、午後に小雨が時々降りました。
 午前10時、旭川市の行進は、花咲スポーツ公園から出発しました。公園前の国道40号線の反対側が陸上自衛隊旭川駐屯地です。
 「集団的自衛権行使反対!」のシュプレヒコールが、自衛隊員にも聞こえたことでしょう。イラク戦争ときは、ここから隊員がイラクへ派遣されました。集団的自衛権が行使されれば、アメリカの起こす戦争にかり出され、自衛隊員が人を殺し殺されることになります。
 人を殺しあってはなりません。これまで、殺しあいをしなかったのは憲法9条のおかげです。
 この自衛隊基地は、旧陸軍の第7師団があった場所です。そこから旭川駅までを「師団道路」と呼ぶ軍事道路でした。
 その道が、平和行進のコースです。途中の石狩川に架かる旭橋を、地元の人は「戦車橋」と呼んでいました。戦車が通れるほで頑丈だからです。1932年(昭和7年)竣工の現役です。戦時中は、橋に旭日章旗が掲げられ、通行人は止まってお辞儀したそうです。
 行進が市街地に入ると、沿道の満開のさくらに迎えられました。行進は市役所脇の公園で終わり、集結集会をしました。
 集会後の街頭署名は、旭川駅近くの平和通りの「買物公園」でした。この平和通りも「師団道路」でした。
 最近、駅前に大型スパーのイオンモールができたことから、平和通りの歩行者が減少したそうです。大資本に地元の商店街が太刀打ちできないようです。署名行動参加の30人は、スピカ-で訴える人、チラシを配布する人、署名画板を持つ人に別れました。私は、訴えと、チラシ配布をしました。
 通りがかった観光客にも、署名を呼びかけると、スイスから来た観光客2人が署名しました。片言の呼びかけで直ぐ通じたようです。そして、私たちと写真を撮りました。そのほか、インドネシアの女学生も署名されました。彼女は日本語を話せ、インドネシア政府が核兵器の廃絶に熱心なことを知っていました。
 40分ほどの取り組みでしたが、多彩な署名行動でわくわくしました。
 参照 http://www.takeda-a.net/11-5-14.html
 夜は、夕食交流会がありました。生イカの姿焼きが、丸まるに膨らんだ感じと、歯切れがよく、旨かったです。
 行進は、参加者80人で3.2㎞です。街頭署名は、参加者30人で65筆でした。