2017年 ウズベキスタンを行く (7)
シルクロード “奈良・ローマ2万km”
タシケント 編
タシケントの市民墓地「ムスリム」にある日本人墓
=2017/10/12
日本人墓地を見守るヌラムさん(右)=2017/10/12
ウズベキシタン歴史博物館のクサン朝仏像(左)と水道管
=2017/10/12
ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場。前面の池に綿花をデザインした噴水がある=2017/12/12
54年前に撮影のナヴォイ・オペラ・バレエ劇場
=1963/10、タシケント・ホテルから筆者撮影
ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場の壁面に建設に参加した日本人を称えるプレート=2017/12/12
チムール広場のアミール・チムール像
=2017/12/12
チムール広場で似顔絵を描いてもらう
=2017/12/12
元タシケントホテル跡地に建つ「ロッテ・シティホテルズ」前で記念撮影=2017/12/12
 2017年10月12日(木)
 今日は、首都タシケントの見学です。
 タシケントは、ウズベキシタンの東端に位置し、シルダリア川の流域です。

 7時、サマルカンドのホテルを出て、サマルカンド空港へ向かいました。
 7時15分、空港に着いて搭乗手続きをすると、8時30分発のタシケント行きが、2時間遅れとなりました。
 タシケントからのトンボ帰り便で、到着が遅れたからです。タシケント見学時間の短縮が、心配になりました。

 11時50分、タシケント空港へ着き、直ぐに2㎞ほど西の市民墓地のムスリム墓地に行きました。
 ムスリム墓地の一画には、終戦後、中国東北地方(旧満州)などに残留した日本軍兵が、ソ連各地に抑留され、タシケントで亡くなった79名を埋葬した墓地があります。
 ウズベキシタンに連れてこられた抑留者は、2万数千人といわれます。亡くなった方は、約900人です。
 墓地には、ウズベキシタンの各地で亡くなり、その土地に埋葬された方々の場所と人数を記した慰霊碑も、個別にありました。
 戦没者の御冥福と、戦争のない平和な世界を願い焼香しました。
 日本人墓地を、ボランティアーで見守るヌラムさんとお会いました。お父さんの写真を持っておられ、「父の意志を引きついでいる」と話されました。
 親子二代で、お世話になっています。
 この抑留者問題は、日本政府が事前に認知した経緯があります。いつの戦争も犠牲になるのは国民です。
 私の父も中国で戦死しました。

 午後2時40分、タシケントの中央部にあるウズベキスタン歴史博物館の見学です。
 石器時代の矢じり、ナイフ、斧など、手順良く展示され、製作技術の進化がよく分かりました。
 ここの展示で有名なのは、1世紀から3世紀のクサン朝の仏像です。穏やかな表情が印象的でした。イスラム以前は、仏教が広がっていたようです。
 他に興味をもったのは、1~3世紀の水道管です。大理石をくり貫き、造ったようです。使用した状態の遺跡を見たいと思いましたが、無理でした。

 午後4時、ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場の見学です。
 場所は、歴博物館後方のロッテ・シティホテルズの前です。
 この劇場は、建設に日本軍の抑留者が関わりました。完成は、1946年です。
 劇場の左側の壁面には、それを示すプレートがはめ込んであります。
 そこには、「1945年から1946年かけて極東から強制移送された日本国民が、このアリシェル・ナブォィー名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」書いてありました。
 この劇場は、1966年にタシケントを襲った直下型大地震でも、崩れなかった建物です。
 日本人の技術の高さと 勤勉さが大きく評価されました。強制労働だったにもかかわらず、誠実に働いた証だと思います。
 上から5段目の写真は、私が前回(1963年)訪れたとき、タシケント・ホテルから撮った同じ劇場です。現状と比べて見ると、変わらないことが分かります。
 そのとき3泊したタシケント・ホテルは、地震で壊れました。現在その場所は、韓国資本のロッテが建設したロッテ・シティホテルズになっていました。
 実は、前回訪問したとき、この劇場でオペラをみることになっていました。それを、昼間の農業関係の視察中に、農家で夕食招待の話があり、「その方がよい」と変更したのです。
 当時、日本で一般的にオペラをみることはなく、みても理解できなかったのです。
 そのときの訪問は、日本の青年4人がソ連側の招待でした。付き添っていた通訳のロシア人の婦人が、私たちの様子を察し、配慮されたのです。
 ただし、モスクワのクレムリン大会宮殿でみたバレーの白鳥の湖は、バレーを初めてみたにも関わらず、たいへん感動しました。
 次にアルマティでみたオペラは、題名を思い出せませんが、難しく感じました。オペラも初めてで、筋書きも知らなかったのです。

 劇場を後に、400mほど東のチムール広場へ行きました。
 広場の中央には、馬に乗るアミール・チムール像があります。右手を上げ、躍動感のある勇姿です。
 アミール・チムールは、「建国の父」と慕われています。ウズベキシタンの長い歴史のなかで、たび重なる他国の支配を退け、ウズベキシタン出身の君主が、民と共に築いてきた建国の英雄だと分かりました。
 タシケントの中心は、この公園のチムール像だと思います。

 今日は、サマルカンドからの飛行機が遅れたにもかかわらず、意外に余裕がありました。 チムール広場で、似顔絵を描いてもらいました。
 今回のツアーは、5人でしたから、小回りが利きました。

 午後6時20分、最後の夕食を、タシケント空港近く食べました。
 メニューの一つに、ウズラの「丸煮スープ」が出ました。ウズラを食べるのは初めてです。びっくりしました。ウズラの卵は食べますが、肉を食べたことはなく、食べることを考えもしませんでした。おそるおそる食べてみると、鶏肉の味で旨かったです。
 食べ物の印象が強いのは、1日3回食べるからでしょう。食べ物と、飲み物の興味は、尽きません。
 ビールは、何種類もありました。私は、主にワインを飲みました。値段は、日本より安いです。イスラムの国なので、アルコールの販売時間の規制や、昨日の昼食のサムサの店には、アルコーがありませんでした。

 ウズベキシタン訪問を終わってみると、有史以前から、日本、朝鮮半島、中国、東南アジアなどと、中東アジア、ヨーロッパ、アフリカなど、東と西を結ぶセンターだったことが良く分かりました。
 ウズベキスタンを訪ねないで、シルクロードを語れません。
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