反核平和マラソン(8)

被爆50周年記念・反核平和マラソン

東京~長崎1500㌔ (#08)8月04日(金)

岡山→三原(100㎞)

岡山市役所での出発式=1995/8/04
高梁川に架かる旧霞橋(人道橋)を渡る
=1995/8/04、
岡山県連島町
笠岡市役所の歓迎文字=1995/8/04
三原市役所で娘を胴上げ=1995/8/04
  娘と母のがんばり

 朝8時、「反核平和マラソン岡山市役所出発地点」と大書したアーチからのスタートです。
 広島県へ着く日にふさわしい激励です。
 そして、マラソン参加を市の広報で呼びかけ、第1区間が「爽やかな朝の街を親子でワイワイ・ランニング」となっていました。凄い取り組みで、気が高まってきました。
 早島町役場を訪問して倉敷市に入ると、市役所までの2㎞と、市役所からの0.6㎞が「ファミリーコース」と設定され、岡山市と同じような家族ランになっていました。
 高梁川に沿って左岸を下ると、連島町(現倉敷市)から対岸の玉島へ渡る鉄橋(旧霞橋)がありました。下流に新しい橋を架けたので、人と自転車だけ通す「人道橋」です。
 それならと、横一列で走り、川風に乗りました。
 その後、金光町、鴨方町、里庄町の役場を訪問して県境の笠岡市役所へ着きました。
 すると、市役所の2階の窓に「がんばれ反核平和マラソン」と大書した紙が張ってありました。庁舎にこのようなことが出来るのか。初めて見る光景で、嬉しい限りでした。
 岡山県のコースは、自治体を訪問しながら家族で参加できる多彩な工夫が光り、岡山県の自治労の方々にたいへんお世話になりました。
 午後、広島県に入ると地元のランナーが少なくなり、関東勢で継なぎました。
 その中で、小学5年生の娘とお母さんが交互に100㎞走る申し込みがありました。それに、お爺ちゃんとお婆ちゃんの応援です。
 娘が、最初の2区間を走って遅れてしまうと、お母さんはがっかりし、声高に娘をなじりました。
 見かねた関東勢は、その家族を援助することにし、休憩区間を取りながら、走ってもらうことにしました。
 この方法で走る娘に感激したお母さんは、最後の区間を走りました。走り出すと、革靴を脱いで裸足になりました。(なぜか、お母さんは走るスタイルの準備をしていませんでした)
 私は、ガラス片でも踏まないかと、ハラハラしながら靴を持ち、後をついて行きました。お母さんは、子どもの時に走りが好きだったいいます。
 無事、ゴールの三原市役所へ着き、ホッとました。関東勢は早速、娘を胴上げしました。みんなが喜びあい、よかったです。
 今日の走りでは、大野さん(神奈川)が手を振って「東京から来ました!」「反核平和マラソンです!」との訴えが好評で、沿道から多くの声援がありました。
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