反核平和マラソン(7)

被爆50周年記念・反核平和マラソン

東京~長崎1500㌔ (#07)8月03日(木)

明石→岡山(120㎞)

備前市の中継所=1995/8/03
岡山市に入る=1995/8/03
岡山市役所での歓迎式=1995/8/03
暑さで水を被る竹田=1995/8/03
  民商のサポートに感謝

 今日の午後は、地元ランナーが足りず、東京から通しのランナー関東勢10人で継ぐよう、昨夜の緊急会議で要請がありました。
 責任感がわき、スピードの似たもの2人で組みつくり、スムースに流れました。
 ここで、マラソンをサポートする車の編成と役割にふれます。
 アナウンサーつきの宣伝カーが1台、ランナーを運ぶバス(又はマイクロバス)が2台、ワゴンタイプの給水車が2台、救護車が1台です。この6台編成を最低基準に、補助車数台がつきます。
 宣伝カーは、ランナーの前を走り、「反核平和マラソン」の主旨を訴え、賛同の応援をお願いします。
 バスは、A班又はB班の受け持ち連続区間内の、各中継場所にランナーを降ろし、走り終わった各区間ランナーを収容しながら進みます。大巾に遅れたランナーは、救護車や給水車などで移送します。
 受け持ち区間でない班の時間帯は、車中で休息や食事などしながら先へ進み、次の受け持ち区間で待機します。
 給水車は、1台目が宣伝カーより先へ行き、上り旗の「反核平和マラソン」「給水所」(又は「中継所」)を立て給水台を設営し、走ってきたランナーに給水します。2台目の給水車は、給水作業が終わった後1台目より先の給水所へ行き設営し、ランナー来るのを待ちます。
 給水所の設営は、2.5㎞毎です。なお、バスには常時冷水と食料を準備してあります。
 当日だけ参加ランナーの荷物や移送はなどは、各車が連携しながら進みます。
 交通渋滞などで、ランナーの移送遅れが出た場合には、その区間の前のランナーが連続して走ります。
 その他、補助車台数に余裕があれば、東京から長崎まで通し参加のカメラマンの伊藤さん(神奈川)の専用車として撮影に動き回ります。
 午後6時、岡山市役所へ着くと、職員たち大勢で出迎えられました。市役所の課名が書かれた大きなヤカンから注がれた、冷えた麦茶を一気に飲み干し、心遣いに感謝しました。
 夕暮が迫るなか、朝からサポートされた民商の人たちが、手際よく荷物を車に積んでいました。私はお礼をして、「今日中に帰るのですか」と聞きますと、「そうだ」といわれました。今朝、スタートした明石市の先の神戸市まで戻るのです。帰宅は、深夜だと思います。
 車の出際に再度お礼をしまと、頑強に見えた人たちに、涙するのが見えました。私も涙がこみあげ、手を振り続けました。
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