反核平和マラソン(5)
被爆50周年記念・反核平和マラソン
東京~長崎1500㌔ (#05)8月01日(火)
名古屋→京都
(150㎞)
夜明けの名古屋城を走る
=1995/8/01、名古屋市
給水しながら走る
=1995/8/01
、愛知県蟹江町
大津市を走る
=1995/8/01、
滋賀県庁前
滋賀県庁の幹部
(右)
から激励を頂く
=1995/8/01、大津市
1日の最長距離を走る
朝5時、夜明け前の名古屋城へ、ランナーがぞくぞくと集まってきました。
今日は、これまでにない長い距離を走ります。
樹木の小枝によじ登った蝉の幼虫が日の出前に、羽化しようとする懸命な姿を、みんなで見守りました。天敵に食べられないよう、夜明け前の旅たちです。
昨夜の歓迎集会で、「明日は走る」と宣言した名古屋市職労組の委員長は日ごろ走っていないらしく、組合員たちから「本当に大丈夫か」と、皆から心配されていました。
昨夜の雰囲気に押され、本当に走るようです。
全員がゆっくりペースで、夜明けの名古屋城に沿った道路を数㎞走りました。
その後は、5、6人の精鋭でタスキを継なぐ方法でペースを上げました。
1㎞を4分30秒くらいで走るペースです。
山田さんは、スタートから6区間を全て走り31.4㎞地点の岐阜県柳津町(現岐阜市)まで行くといいます。私も、ついて走りました。
6区間は無理なので、飛び飛びに3区間を走りました。睡眠不足にもかかわらず「速いペースで走れたな」と、我ながら感心しました。
その後は、岐阜県大垣市を経由し、滋賀県の琵琶湖畔を通り、滋賀県大津市へと走ります。
予定では、80㎞地点の滋賀県彦根市が11時、150㎞地点の滋賀県庁が午後4時40分です。
滋賀県は、全教(全日本教職員組合)のランナーが中心にタスキを継なぎ、競うように走っていました。
何区間か走ったが、スピードが速くて最後までついて行けず、遅れるようになりました。田園地帯が多く、暑さも半端でなかったです。
滋賀県庁の1.5㎞手前になると、地元のランナー50人ほどが待っていて、特製の「8.1滋賀反核平和マラソン」と書かれた横断幕持って走りました。
県庁へ着くと、大勢の職員に出迎えられ、冷たいスイカの接待があり、美味しく頂きました。中継所のスイカの接待は初めてです。
県庁の幹部から激励の挨拶を頂き、滋賀県の取り組みをありがたく思いました。
その後、終点の京都へ向う県境の逢坂(旧道)を走っていると、夕闇が迫ってきました。
東京から走り続けて5日目、疲れと睡眠不足が溜まりました。
夜の9時に、テレビで反核マラソンのニュースを見るようにいわれたが、待てずに寝てしまいました。
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