反核平和マラソン(4)

被爆50周年記念・反核平和マラソン

東京~長崎1500㌔ (#04)7月31日(月)

浜松→名古屋(110㎞)

とランナーの到着を待つ山田敬蔵さん(右)
=1995/7/31、名古屋市南区役所
ランナーの到着を迎える山田さん(右)
=1995/7/31、名古屋市南区役所
名古屋市中区役所での打合せ
=1995/7/31
名古屋市役所へ到着=1995/7/31
  山田敬蔵さんと走る

 浜松~名古屋~京都の110㎞は、名古屋市労連などが中心で受け持っていました。
 名水労(名古屋市水道局労組)手配の救護車などもランナーの後方につき、近親感を覚えました。
 途中の中継所で、名水労青年部のランナー3人と出会い、うれしくなりました。水道局で働く仲間です。
 私は、横浜市水道局労組員であることを話し、激励し合いました。
 午後3時過ぎ、名古屋市の南区役所に着くと、第57回ボストンマラソン優勝の山田敬蔵さんに会いました。
 山田さんは、私の所属するマラソンクラブ「フル百回楽走会」の名誉会長をしていたこともあり、気心を知っていたつもりでしたが、この反核平和マラソンに参加されたので少々驚きました。
 山田さんと、名古屋市役所までの10㎞を一緒に走りました。宣伝カーから「ボストンマラソンで優勝した山田敬蔵さんが、反核平和マラソンに賛同し、今、走っています」と先導の宣伝カーでアナウスすると、通行中の人たちが注目され、声援をしてもらいました。
 市役所へ向かう途中の瑞穂区、昭和区、中区からランナーがどんどん加わりました。商店街の歩道を走るときは、店からはみ出した商品や、置き自転車、通行人にぶつかりそうになるので、トラブルのないよう注意して走りました。
 市役所へ着くと、歓迎集会が盛大に開かれ、私も山田さんに続き、東京からの通しランナーとして挨拶をし、感無量でした。
 夜は、宿の広間で歓迎交流会が盛大に開かれ、ついついアルコールの量が多くなってしまいました。
 その宿には、総勢40数人が泊まったためか、7人が一緒に寝る大部屋でした。
 早めに寝ようとしたら、世話役の藤本さん(神奈川)が「寝るのは未だ早い」と、ウイスキーを「飲め、飲め」とすすめます。調子に乗って、2人でポケット瓶を空けてしまいました。
 夜中の2時ごろ暑くて目が覚め、眠れなくなったので風呂へ行きました。電灯のスイッチを入れても点灯せず、窓の薄明かりをたよりに浴槽へ近づくと、人間が浮いていました。
 ビッくりし、「アレッ!人が溺れている」と声を出す。「エッ!」、と返ってきました。
 よく見ると、「ナーんだ、今野さんか」
 今野さん(神奈川)は、東京から京都まで一緒に走ってきたランナーで、ホッとしました。
 彼も、眠れなかったといいます。
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