反核平和マラソン(3)

被爆50周年記念・反核平和マラソン

東京~長崎1500㌔ (#03)7月30日(日)

沼津→浜松(140㎞)

沼津市をスタート=1995/7/30
焼津市の給水所=1995/7/30
久保山愛吉さんの墓
=1995/7/30、焼津市高徳寺
高徳院山門=1995/7/30、焼津市
大井川右岸=1995/7/30、静岡県吉田町
  久保山さんの墓前に合掌

 昨日の横浜~沼津は、交通渋滞に巻き込まれ、バスの移動に遅れが出た反省から、各班の連続受け持ち区間を長くすることにしました。
 そのうえ、今日のスタートを1時間の繰り上げることになりました。
 朝6時、沼津市庁役所前に全員が集合し、福岡県北九州市から参加した本田さんの指導で、ラジオ体操をしながら心身に気合いを入れました。
 取材の地元テレビ局の女性記者が、スタート前からよいアングルねらって動き回っていました。
 ランナーが走り出すと、彼女は重いテレビカメラを肩に、走っての取材で感動しました。
 静岡県は東西に長く、愛知県まで延べ3日間を要します。
 途中には、難所もありました。
 由比町の海岸線は山がせり出し、平場が極狭く、国道1号線、東海道本線、新幹線、東名高速道路が寄り沿い、走る隙間がありまん。
 その難所は、やむを得ず全員が車で通る計画でしたが、「タスキを車で継なぐのは不本意」と言う精鋭4人が旧道の薩唾峠(さったとうげ)を走りました。
 事前に、神奈川の人たちが下見をしていたそうで、7㎞の空白を埋めることができました。
 薩唾峠は、そこから眺める富士山が、一番の絶景だといわれています。
 私の乗ったバスが10時に静岡市役所へ先行して着くと、市役所の温度表示計が30度を超えていました。朝からの暑さで、音頭を知りビックリしました。
 炎天下、連日30度以上になるので、身につけているものはビショ濡れです。
 バスに座ると、座席のビニールシーツに汗が溜まり、車内はプンプンの臭いです。水をガブ飲みしながら走るので、汗を止めようがありません。
 静岡市役所からリレーして走り、岡部町役場へ着くと、私と米長さん(神奈川)や神奈川県三浦市の人たち計7人が本隊コースから別れ、焼津市の高徳院まで7㎞を走りました。
 高徳院には、南太平洋のビキニ環礁で、米国が行った水爆実験(1954年3月1日)で被爆死した、マグロ漁船「第五福竜丸」通信士の久保山愛吉さんが眠っています。
 「被爆50年・核兵器廃絶・スポーツは平和とともに」」のタスキと「フランスの核実験反対」のハチマキを墓石にかけ、ご冥福を祈り、核兵器廃絶の誓いをしました。
 今日の終点の浜松市役所へ着くと、薄暗くなっていました。
 愛知県実行委員会の人たちが大勢出迎えられ、歓迎夕食会を開いて頂きました。
 会場には「反核平和マラソン・ごくろうさま」との文字が飾られ、心あたたまるものでした。
 夜のテレビニュースを見たら、今日の最高気温は、静岡県天竜市で39度だったそうです。
 暑いはずでした。
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