反核平和マラソン(2)

被爆50周年記念・反核平和マラソン

東京~長崎1500㌔ (#02)7月29日(土)

横浜→沼津(125㎞)

反核平和マラソン東京~長崎ゼッケン
宿前で朝のミーティング=1995/7/29、横浜市
箱根町役場で激励を頂く=1995/7/29
箱根町湖尻を走る=1995/7/29
  箱根峠を越え静岡へ

 朝、橫浜市役所で開かれた出発集会に妻が見え、「気をつけてね」と励ましてくれました。
 一昨日に家を出るときは、来るかどうか返事が「曖昧」だったので、嬉しかったです。
 妻も働いており、私が長期間留守にするので、妻の頑張りと激励に感謝です。
 スタートした一区は、参加者全員でゆっくり走り、2区目からA班とB班に分かれました。
 私はB班で、藤沢市役所から平塚市役所の間を走りました。
 平塚市役所では歓迎式が開かれ、市役所の幹部の方から激励を頂き、A班のランナーが引き継いで行きました。
 ところが、私たちB班を運ぶ貸し切りバスが1時間も遅れて着きました。渋滞に巻き込まれたのです。
 その間、市役所の方も待っておられ、胸がジーンと鳴りました。
 その後順調にすすみ、、箱根町に入ると全員で走り、箱根町役場へ着きました。
 ここでも、役場の幹部の方から激励を頂きました。
 後で聞くと、神奈川県実行委員会の役員たちが県下の自治体を訪問し、首長から広島市長や長崎市長におくるメッセージや、賛助募金の要請をしたそうです。 多くの方々の厚意をありがたく思いました。
 箱根町役場からは、「箱根峠をみんなで走ろう」と、中心のランナー以外も、任意の区間を走りました。 私は、宮の下から芦ノ湖の箱根駅伝折り返し点まで、11㎞ほど走りました。
 初めて走る箱根の剣、曲がり道が多く急な勾配です。峠の最高地点に近づくと、霧が発生して見通しが悪く、箱根の凄さを知りました。
 箱根を超えれば静岡です。
 終点の沼津市へ入ると静岡のランナーたちが出迎え、最後の区間を出迎えのランナーを含め全員で走りました。
 終点の沼津駅前へ着くと、6時半を過ぎて暗くなりました。
 お祭りがあり、予定の引き継ぎ会場へ着けません。仕方なく、最寄りの道路脇の街灯を頼りに、引き継ぎ集会を開きました。
 今日は、自治労連チームや横浜市従労組チームが独自にタスキを継ぎ、奮闘が目立ちました。
 私が走った延べ距離は、34㎞ほどでした。
 1日当たりフルマラソンの42㎞以上走ろうと考えていたが、炎天でバテるのが早く、思うように走れませんでした。
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