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上海マラソン国際交流会で話す藤田監督 |
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昼食会(右から)陳さん、須藤さん、丁さん、筆者、金子さん |
2009年11月29日(日)、中国の上海市で第14回「上海国際マラソン」が開かれ、参加しました。
全体の参加者数(エントリー数)は、フルの部が527人増え3,480人、ハーフの部が294人増え6,195人でした。
昨年は、ハーフの部が40%(1,677人)増えていたので、ハーフを走った経験者がフルの部にまわったと思われます。
北京オリンピック(2008年8月)の影響を受けて、フルの参加者が大幅に増えるだろうと予測していたが、甘くなかったです。
北京オリンピックのマラソンで、中国の成績は、男子が25位、女子が3位でした。男子がメダルを獲得していれば、上海マラソンの参加者が、もっと増えたかも知れません。
他方、上海市在留邦人のマラソン熱は盛り上がっておりました。その邦人マラソン愛好者クラブの会員数は、昨年より50%ほど増え100人台になっていました。
マラソン大会が終わってから開かれた、中国、韓国、米国、日本のランナーたちによる国際交流会は、100人余が参加し、盛大でした。
これは、昨年に続き邦人のマラソンクラブ「チームアジア上海」の人たちが主になって呼びかけ、開かれたのです。私にも声がかかり、昨年に続き参加しました。
今回の交流会には、アテネオリンピック女子マラソン金メダリスト野口みずき選手の監督の藤田信之さんが参加され、スピーチを聞くことができました。
また、台湾のランナー、広東省新?市や江蘇州蘇州市の在留邦人ランナーも参加しており、各地のマラソン大会の情報交換をしまた。中国でのフルマラソン大会は、香港やマカオを含め9か所くらいあるようです。2010年3月には、湖北省の武漢市でも開くそうです。
翌30日、第1回目の上海マラソンから今回まで連続参加(フル9回、ハーフ5回)した上海市の丁志明さん(79歳)と、第11回目まで連続参加し、今回も参加した山形県寒河江市の須藤日出夫さん、私の職場の同僚だった金子正典さん、上海の旅行社の陳培東さんと昼食会をしました。
丁さんは、1990年の北京アジアオリンピック開催とき、上海かから北京まで17人で走ったメンバーの1人でした。1日で100q走ることもあり、17日間かかったそうです。丁さんは、中国市民マラソンの草分けです。
今回の私のゴールタイムは、5時間36分32秒でした。 |