☆HOME ☆7大陸を走る ☆著書注文 ☆著書外マラソン ☆平和行進日誌一覧 ☆日誌検索 ☆平和行進十話 ☆平和への旅一覧 ( ↑まえ  ↓つぎ ) ☆リンク  

沖縄県知事選 応援(9月3~6日)
「琉球処分」を許さない

 
 
国道58号線の那覇市泊交差点で、デニー候補の応援者
=2026/09/03
 
 
国道58号線の泊交差点で、げんた候補の応援者
=2026/09/05
 
 
 デニー候補応援の辻説法
=2026/09/05
 
 
デニー必勝那覇総決起街頭演説会。宣伝カー壇上の左2人目が玉城デニー候補
=2026/09/05、県民広場
 
 
月桃蕎麦を食べる
=2026/09/05、那覇市・辻
 
 沖縄県知事選挙が8月27日告示され、9月13日投開票されました。結果は高市総理が強力に押した古謝玄太氏が当選し、現職の玉城デニー氏の3選ならずでした。私はデニー氏が負ければ、高市総理が煽る「台湾有事」のもと、沖縄の戦場化がエスカレートするのを心配し、ストップかけたいと、デニー氏の応援に3日から6日にかけ沖縄へ行きました。直ぐ、3日の午後から支援団体の案内により「米軍基地はいらない」等のプラカードを持って繁華な大通り沿いにスタンデングでアピールし、翌日からは辻説法等に励みました。それらの取り組みでは、告示期間中の選挙運動規制がある程度黙認され、候補者名の提示や携帯スピーカー利用も無理ではなかったことです。この他の都道府県との違いは、沖縄県民の祖国復帰運動や米軍基地撤去運動の底力と知り、支援運動が楽しくなりました。
 今回の選挙情勢は、保守が一本化したことで、基礎票がデニー氏1に対して玄太氏が2~3倍と開いていたことです。そのうえ県外からのSNS等で、デニーさん、支援者個人、団体に対する誹謗中傷が激しかったことです。それらにひるまず、デニーさんが4対5まで迫ったことは、大健闘だったと思います。
 かっての沖縄は、琉球王国として、中国(清国)や日本と朝貢外交をバランス良く保って繁栄した「独立国」でした。ところが、日本が幕末から明治中期にかけ、明治政府の率いる警察官や軍隊の武力によって、首里城を占拠し、約450年続いた琉球王国を滅亡させたのです。いわゆる「琉球処分」(1879年3月27日、明治12年)です。その後も反乱を抑えるため、元国王の長男の尚典氏を東京に住まわせ、続いて元国王の尚泰氏も東京に住まわせ、幽閉的なこと迄しました。その背景は、明治政府の「尊皇攘夷」の軍事力強化の勢いと、清国の国力弱体がありました。さらに日本は、朝鮮半島の植民地化を目指して日清戦争(1894~5年)を起こし、台湾をも領土(植民地)にしました。そして日本は、太平洋戦争を起こし、朝鮮半島や中国の東北部(旧満州)等に領土を広げ、植民地化しました。他国を支配することは長続きせず、日米戦の本土決戦では、先ず沖縄が「捨て石」にされ、県民約10万人(4人に1人)が犠牲になりました。
 「歴史は繰り返す」と言われますが、今回の知事選は、最近の中国の国際的な経済力や軍事力強化に対し、米国単独では対抗できなくなったことから、米国が日米安保の「専守防衛」や憲法9条の枠を越えさせ、高市総理に「台湾有事」の旗を振らせ、米軍の指揮の下「敵地・先制攻撃」も有りで、沖縄を再度「捨て石」にする軍事強化を急速に進めています。「琉球処分」と同じだと思います。
 普天間基地の撤去問題は、1996年12月のSACO(サコ:沖縄に関する特別行動委員会)合意から30年経ちましたが、移転先の辺野古基地完成(名護市)の目処すら立っていません。米国は、辺野古基地が完成しても、滑走路が短く(1800m)、大型軍用機が発着陸出来ないから、3000m級の滑走路を提供せよと公言し出しました。普天間基地は無くならず、那覇空港も差し出せと言う無法です。許すことは出来ません。
 沖縄県民の総意は、SACOの県内移転の条件付きからから、発展させた「建白書」(2013年1月)で誓った「普天間基地閉鎖・撤去し県内移設断念」です。「オール沖縄」の心です。その心は「琉球処分」のような、いかなる大国の覇権や中央の権力に屈せず、世代へ引き継がれ、軍事基地の無い平和な沖縄に向けた運動へ続くと確信しています。

☆HOME ☆7大陸を走る ☆著書注文 ☆著書外マラソン ☆平和行進日誌一覧 ☆日誌検索 ☆平和行進十話 ☆平和への旅一覧 ( ↑まえ  ↓つぎ ) ☆リンク
copyright(c) takeda akihiko all rights reserved.