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アルメニア人ジェノサイド100周年 |
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アルメニアのエレバン訪問 追悼する | |||||||||||||||||||||||||||||
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アルメニアは、西にトルコ、南にイラン、東にアゼルバイジャン、北にジョージア(旧グルジア)と接する高原の国です。首都はトルコ国境に近いエレバンです。 歴史的な位置は、ヨーロッパと中央アジア、インドを結ぶユーラシア大陸の交通・交易の十字路です。 その戦略的重要性から、地域諸勢力の紛争に巻き込まれながら、3000年の歴史を誇ります。 近年の紛争問題で大きな事件は、1915年4月24日にはじまった、トルコのアルメニア人ジェノサイド(集団虐殺)です。延べ150万人が殺されました。 ジェノサイドの方法は、絞首刑や射殺をはじめに、大勢の人を灼熱の砂漠に放置したり、川に投げ入れるなど、残酷の極みでした。 今年がアルメリア人ジェノサイド100年目です。この4月24日には、エレバンで追悼式典が開かれ、フランスのオランド大統領、ロシアのプーチン大統領など60か国の首脳や外交官が出席しました。 トルコは、アルメニア人ジェノサイドを国家の犯罪として認めず、国際的にもぎくしゃくし、アルメニアとトルコの国境は閉鎖中です。日本の安部政権が、侵略戦争の真実に目を閉ざすのと、似たところがあると思いました。 当時のドイツは、「ドイツ・トルコ秘密同盟」(1914年8月)を結んでおり、トルコ政府のアルメニア人ジェノサイドに加担しました。その経験を、ナチス・ヒトラー政権がユダヤ人ジェノサイドにヒントを得たと言われます。 今回のアルメニア訪問で、エレバンのアルメニア人ジェノサイド博物館を見学しますと、虐殺地への集団移送に貨物列車を利用し、「豊かな土地へ連れて行く」と騙していたことを知りました。今年の4月に見学した、アイシュヴィッツへのユダヤ人貨車移送と、まったく同じ手法だと分かりました。 アルメニアの人たちは、旧約聖書の「ノアの方舟」漂流地のアララト山(5165m)、「エデンの園」に思いを寄せ、キリスト教を世界で初めて国家の宗教(301年)にした誇りを、アイデンティティーにしていました。アララト山は、現在トルコ領ですが、アルメニアの人たちは領土云々よりも、自国の山のように思っていました。 アララト山の頂上は、(写真中)撮影地点から約35km先で、国境線は修道院から数km先のアラス川(河口はカスピ海)です。 露店やバザールの買いものでは、「買え、買え」と、しつこく言われるだろうと思っていたが、金銭のやり取りも穏やかで、ビックリしました。アルメニアの商人は真面目で商才に優れ、イギリスのインド進出では頼りになったそうです。そして、アルメニアの商人がイギリスの貿易船に乗るなど、イギリスの商人と同等の待遇をうけたと言われます。 日本に原爆が落とされたことは、学校の教科書で教えているそうですが、「長崎に人が住んでいますか」との質問もありました。今だ、草木も生えないと思っているのかも知れません。70年たった原爆被害の実相を、リアルにアルメニア人に伝えれば、ジェノサイドなどの苦難の歴史と重なり、核兵器廃絶運動への連帯が急速に高まるだろうと思いました。 今回、アルメニア訪問の二つ目の目的は、アララト・コニャック(ブランデー)工場の見学でした。 アルメニアは、ワイン発祥地の一つと言われ、古くからワインを造っていました。1887年創業の「アララト・コニャック」は、世界的に評価が高いブランドです。私が、アララト・コニャックを初めて飲んだのは1963年でした。工場見学で、保存されている最古品(1902年瓶詰)を見たときは、身震いする感動でした。 そして、コニャックを熟成するタルの側板のパッキンに、アシの葉を使っていることも知りました。北海道余市のウイスキー蒸留所見学で知った、ガマの葉と同類の湿地植物の優れものだと、再認識できました。 参照 http://www.takeda-a.net/15-5-23.html その他、宗教遺跡の見学で興味を引いたのは、エレバンから東へ行った所の岩山に彫られたゲガルド修道院(4~10世紀)です。インドのエローラ石窟群、中国の莫高窟、大分県の臼杵石仏などを見たことがあったので、ここでも、崖をほり刻む精密な技術に感銘しました。 アルメニア6日間の訪問中に、私が、現地の人から日本人と見られたのは1回だけです。他は、中国人、朝鮮人、ベトナム人と見られることが多かったです。日本とアルメニアの一般人の人的交流が少ないようです。果物は、アンズ、ザクロなどが特産です。生食の柿と干し柿もあり、日本の味とかわりません。 料理は、3千年の食文化があり、手間ひまかけたメニューが豊富で、美味しかったです。 |
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