竹田昭彦・日誌(#1)・4月11日(金)

  西本あつし生誕100年 墓参  
  ノーベル平和賞受賞報告  

  
 
墓参行進の出発
=2025/04/11、伊勢崎・国定駅前
 
 
田園地域を歩く
=2025/04/11、伊勢崎市国貞
 
 
墓前でノーベル平和賞受賞を報告(前列左端が筆者)
=2025/04/11、伊勢崎市・養壽寺
 
 今年は、歩いて原水爆禁止を広める提唱と実践を、最初に行った西本あつしさんの生誕100年です。
 その1歩は、1958年6月20日、広島の原爆記念碑前でした。
 そこから、8月12日東京で開かれる第4回原水爆禁止世界大会へと進み、神奈川から多摩川を越え、東京へ入ると1万人の行進となりました。参加者は、延べ100万人になったのです。
 世界大会で、西本さんは「ここで行進が終わりでなく、ここから始まる」と訴えました。
 そして毎年、雨に日も暑い日も全国津々浦々で続けられ、今年が68回目になります。
 西本さんは、1925年1月21日四国の高知で生まれ、教育者の道を歩む中で、ジェンダー平等や国家主権擁護の実践的追求をされ、在日駐留米軍強化の内灘基地、妙義基地、砂川基地などの反対闘争に参加しました。
 その縁で群馬に住まわれ、1962年4月28日に伊勢崎市で開催の「日米安保条約青年学習会」で講演の帰路、乗っていた自転車が飲酒運転車にぶつけられ、帰らぬ人となったのです。36歳の若さでした。
 今回の墓参では、墓前にノーベル平和賞受賞の幕等を掲げ、群馬原水協の人たちや、平和行進の通し行進経験者の有志らが、冥福と核兵器廃絶を誓いました。
 参照 takeda-a.net

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