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竹田昭彦・日誌(#01)・3月18日(水) | ||||||||||||||||||||||||||
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西本あつし墓・参り | ||||||||||||||||||||||||||
平和行進の安全と成功を祈願 | ||||||||||||||||||||||||||
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参加者は、2020年の全国通し行進者で東京都の山口逸郎さん(四国→広島コース)、同五十嵐成臣さん(宮崎→広島コース)、神奈川県の竹田昭彦(北海道→東京・内陸コース)、2012年に東京→広島コースを通し行進した東京都の渡邉正郎さん、映画「一歩でも 二歩でも」監督で東京都の有原誠治さんと、地本の方々6人の計11人です。 お墓参りは、2015年からはじまり、今年で6回目です。 天気は、晴れでしたが、群馬の「空っ風」が吹きました。 今年は、地本で宣伝カーを用意され、沿道にスピーカで 訴えながらJR国定駅から墓地まで行進しました(1.6㎞)。 歩いた人も7人で目立ち、例年より多くの車窓から手が振られました。 両毛線路脇の道路では、電車の通過にあわず、期待の激励汽笛のないのが残念でした。 1昨年は、電車の運転手が「ピー」と汽笛を鳴らし、激励されたので、「今年も鳴るか」と話題になったからです。 参照 takeda-a.net/18-4-15 takeda-a.net/19-3-20 私の今年の通し行進の推薦は、新日本スポーツ連盟からです。 それで、今日は「スポーツは平和とともに」の幟旗を持って行進し、西本あつしさんの墓に掲げました。 私は、市民マラソンの愛好者で、当連盟のマラソン大会や反核平和マラソンに参加してきたので、戦争のない平和な世界であってこそ、スポーツができると思っています。 かって、1940年(昭和15年9月から10月)の第12回オリンピックは、アジアで最初に開催する東京オリンピックでした。私の生まれた年です。 ところが、日本が1937年に日中戦争を起こしたことで、戦争が国政の主力となり、オリンピックを返上する事態となりました。日常的な国民のスポーツの楽しみや、プロ野球の試合なども禁止され、スポーツは、軍事教練や鍛錬の軍国主義に利用されました。 野球選手も次々に徴兵され、スターだった巨人軍の沢村栄治投手の戦死は有名で、語り継がれています。 アテネマラソン(第9回 国際アテネ平和マラソン)を走ったとき(1991年10月)、ゴールしたスタジアム(近代オリンピック第1回パナイナイ競技場 )の壁にはめ込んだ大理石のオリンピック歴表には、第12回東京「開催されず」と刻まれていました。 もし、開催されていたなら、東京に住んでいたので父母に連れられて見たことでしょう。 参照 takeda-a.net/zyuwa31-06-atene 今年の2020年第32回東京オリンピックは、コロナウイルスの世界的な猛威で、開催が危ぶまれています。 既に、3・1ビキニデー、ニューヨーク世界大会が中止になりました。参加を申し込んでいたのに、残念でなりません 。一日でも早い収束を願っています。 長引けば、平和行進や広島・長崎の世界大会も心配です。 * 2020年 原水爆禁止国民平和大行進の「全国通し行進ならびに国際青年リレー行進」は、コロナウイルス感染が収束しないことから中止となりました(4月3日) |
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