竹田昭彦・日誌(#06)・6月28日(金)    
今日の天気と行進
午前中止で 午後に歩く

西都市議会中武邦美議長(左)を訪問
=2019/06/28
、西都市役所
西都市押川修一郎市長から歓迎の挨拶を頂く
=2019/06/28
、西都市役所
新富町役場で出口敏彦副町長(中央)から被爆者援護募金を頂く=2019/06/28、新富町役場
新富町役場の「非核平和宣言の町」塔でパチリ
=2019/06/28
、新富町役場
 今日は、西都市、新富町の役所訪問と行進です。
 天気は、午前が大雨で、午後に止みみました。
 8時30分、宮崎市の宿を宣伝カーで出て、9時15分、西都市役所へ着きました。
 行進する自治体が、宮崎市から近くなり、「通勤」時間は1時間以内となりました。
 9時30分、議長にお会いしました。
 私の挨拶で、「戦没者の遺児です」と話しをしたことから、議長の叔父さんが帰還された話しを聞きました。
 太平洋の小島で、米軍のグラマン戦闘機の来襲を受けたが、隊長が攻撃命令を出さず、攻撃されないようにしのぎ、全員捕虜となって助かったそうです。
 隊長は無謀な死をさけ、兵士の命を守ったのです。
 市長訪問では、市長から歓迎と激励の言葉を頂きました。
 昨夜からの雨は、激しさが止まず、行進は中止となりました。
 出発式を報告に切り替え、市役所の玄関前で市長、議長から激励と被爆者援護募金を頂いたことや、竹田が挨拶しました。
 私の挨拶では、戦後の食べ物不足のひもじさと、米軍を主とした国連軍の日本駐留が、朝鮮戦争が終結すれば不要となる展望を話しました。
 私が住む神奈川県には、米海軍横須賀基地や米陸軍キャンップ座間があります。そこに掲揚している国連旗が不要となり、国連軍の駐留根拠がなくなります。
 行進が中止になったので、力が入り、しゃべり過ぎたかも知れません。
 その後、宣伝カーで市内を45分ほどまわり、核兵器禁止のアピールをして、新富町へ移動です。
 12時30分、新富町役場を訪問し、副町長、議長とお会いしました。
 副町長、議長から歓迎と激励の挨拶を頂き、被爆者国際署名簿(142筆)が託されました。
 新富町では、毎年原爆パネル展を役場で2週間行っています。
 訪問団に参加の新婦人の代表から、子どもも見やすい図書館でも開催したいとの要望が出され、教育委員会に要請することになりました。
 午後1時、玄関前で出発式が開かれ、副町長から激励の挨拶を頂き、町長、議長からの被爆者援護募金を頂きました。
 天気は、曇りとなり、行進ができました。
 役場訪問のとき、「一歩でも二歩でも」のお願いで、副町長が公道へ出るまで一緒に歩かれました。
 副町長は、1時間後には飛行機で出張するそうです。搭乗時間に間に合うのだろうかと、飛行場をイメージしながら、ありがたく思いました。
 行進が公道へ出た所で、「世界の平和はみんなの願い 非核平和宣言の町」塔前で記念撮影をしました。
 対向車のドライバーに手を振ると、何人かが、手を振られたり、うなずかれたり、共感されました。
 行進は、役場へ戻り終了です。
 今日の行進距離は、新富町を20余人で1.2㎞歩きました。
 参考 最近の気象現象は異常といわれ、予想がつかず、災害の危険性が高まっています。今年の平和行進中央実行委員会総会(2月・東京)では、「荒天時は、天気予報で警報が発令された場合は速やかに中止することや、注意報の場合も、参加者の安全を第一に考えて中止の検討をお願いします」としています。
 昨今の豪雨や猛暑などで、決行か、中止か、各地で戸惑いが多かったからです。

 
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