竹田昭彦・日誌(番外編 1 )  
国際青年リレー行進に韓国から参加したイ・ジェイン(李載永)さんの感想記を紹介します

  体育市民連帯 週刊ブリーフィング 金曜 136 号 2018.8.17 掲載 ( 韓国体育市民連帯ホームページ http://www.sportscm.org/
  金曜コラム - 平和大行進
  イ・ジェヨン(2018 日本平和大行進参加者)
  日本語訳 佐藤 好行( 新日本スポーツ体育連盟 国際活動局 韓国担当 )

 約 23 日間の平和大行進と 2 日間の世界平和大会がすべて終わり無事に帰国した。
 平和大行進は日本全域で11 のコースがあり、戦争のない平和な世界、原子弾と水素弾そして原子力発電所をなくすために歩く行進だ。
 私は沖縄 - 広島と長崎 - 広島コースが出会う福岡から一緒に歩いた。
このコースは、北九州から宮崎 - 広島コースと合流しながら、最終的には本州で 3 つのコースが一つになって移動した。私は沖縄 - 広島コースの竹田さん(7.13?8.4)、長崎 - 広島コースの島田さん(7.13?8.4)、私より 2 日前に合流した台湾人シェン(7.13?8.4)、北九州で合流した西田さん( 7.18?8.4)と、山口県内を案内してくださった横井さん(7.20?8.2)と一緒に行進をした。
 この 5 人以外では各地域で一日または半日を一緒に歩く人と一緒に歩いた。
 ある団体の人であるとか、職場から一緒に参加している人がほとんどだった。
 福岡県では本当にすべて歩いて移動した。最も長く歩いた日は合計 28km を歩いただけに、かなり大変な日程であった。
 福岡県とは異なり山口県では、車での移動をたくさんした。ある程度の村が比較的近い距離に
ある福岡県とは異なり、山口県は町と町の距離があって車で移動をしてその町の方々と挨拶を交わし、その周辺を行進する方式であった。これらの日程のおかげで、一日に歩く距離はそんなに長くなかった。
 山口県では最も多く歩いた日が 18KM で比較的短かった。平均的には一日に約 15km ほど歩いた。平均気温は約35 度から 36 度であり、最も暑かった日は 40 度に近かった。
 歩くのは 20km を超えない限りそれほど大変ではなかったが、天気がとても暑くて大変だった。基本的に朝と夕方でも 30 度以下に落ちなかったし、風が吹かないと熱せられたアスファルトと太陽の光を両側から受けて歩かなければならなかった。
 ホテルはその地域の執行委員の方々が予約をしてくれて、主にシングルだったが 2 人部屋や 3 人部屋、または 4 人部屋である時もあった。
幸いなことに男女は別々の部屋を与えられた。ご飯も同様にその地域の執行委員の方々が準備された通り食べた。本当に高価なコース料理からコンビニ弁当まで多様に食べた。
 一日の気分が通常、この二つに起因して決定された。どんなホテルが与えられるか、どのようなご飯を食べるかのかといった、最も基本的なことによって一日の気分が左右された。
 残念だった点は日程がどうなるのか、どこまでいくのか、一つも分からないまま行かなければならなかった点である。
 もちろん、最初に福岡県の日程表を受け取ったが、日程表を見ても日本語で書かれていて理解に苦労し、どの時間に何をするのかちょっと判りづらかった。
 だから日程に慣れたり、一緒に歩く竹田さんや島田さんに聞いてみるしか方法がなくて不便だった。ホテルがどこなのかも書いていない場合があったし、世界平和大会に行っては本当にひどかった。どんな行事があるのかさえ分からなかったし、ただ竹田さんの後ろについて行くことしかできなかった。行事に参加するようにと言われても、どんな行事なのか、どの程度の規模なのかも分からないまま参加した。
 だから約 600 人の日本青年の前で適切に準備もできず 5 分間のスピーチをしたこともあった。
 また、世界平和大会が規模の大きな行事なので若い青年たちもたくさん参加しており、世界各国の青年たちが一緒に参加することができる行事であったにもかかわらず、そのような行事があるという事実さえ教えられなくて行ってみる事ができなかった。
 次からはスケジュールを少し教えてもらい選択権を与えてもらえたらと思う。
 残念な点と大変な点があったにもかかわらず、非常に満足した 1 ヶ月であった。
 規則的な生活をすることができたし、本当に様々な人とお会いすることができた。韓国について紹介することができ、様々な日本の文化を肌で触れることができた。
 韓国にいたらすることができない経験をすることができたし、普段考えたことのない問題について考えてみることができた。原子弾について調べ勉強することができたし、日本の人々がこれに対してどう思うか聞くことができた。
 これは本当に簡単な問題ではないことを学び、この問題を解決するために多くの人々が努力をしておられることを学んだ。
 最初は大きな考えもなく参加したが、参加してからは本当に多くのことを考えられる機会となった

 
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