竹田昭彦・日誌(#28)・6月30日(土)    
人吉市を行進
1市4町5村の絆

人吉球磨平和集会での婦人の訴え
=2018/06/30、人吉市・人吉城址前広場
球磨川に架かる「みずのて」橋を渡って進む=2018/06/30、人吉市
球磨川の尺鮎の塩焼き
=2018/06/30、人吉市五日町
 今日は、人吉球磨平和集会と、人吉市の行進です。
 天気は、曇りでした。
 宣伝カーで、人吉市から宇城市への帰路、所により雨が降りました。山間部の地形によるようです。
 10時、人吉市の人吉城址前の広場で、人吉球磨平和集会が開かれました。
 平和集会は、行進の出発式と兼ねているようです。
 人吉球磨地区は、球磨郡の1市4町5村で構成しています。集会の参加者総勢は50人ほどで、人吉市以外の町村からの参加も多くありました。
 私は、前回人吉へ行かなかったので、初参加です。
 集会は、各参加者団体から、長崎で被爆体験を聞いた具体的な話しや、新婦人からは黒人の人権侵害解放の絵解き話しなど、胸につまる訴えがありました。
 これまでの出発式と違う、練られた工夫がありました。そして、人吉球磨平和集会アピール宣言を、全員の拍手で採択しました。
 宣言は、「日本が核兵器禁止条約に調印・批准する政府になるよう、草の根からの幅広い共同を築きましょう」と訴えていました。
 実行委員長は、「今日の行進が歴史的な一歩になる」と話していました。
 地区の実行委員会では、毎年、1市4町5村の役所を訪問し、平和行政推進の要請をしているそうです。
 地区の連携を誇りにしていました。
 10時40分、行進がはじまると、最初から携帯スピカーでコールしながら歩きました。車椅子で、「1回転でも、2回転でも」と参加の婦人もありました。
 行進の中ほどから、右翼の街宣車が現れ、ボリュームを上げ、彼らの主張を繰り返しました。
 米朝会談の進展に、危機を感じているようでした。彼らが言う「北朝鮮驚異」の意味が無くなるからでしょう。
 球磨川は、日本三大急流の一つです。(他は山梨県と静岡県を流れる富士川、山形県の最上川)
 母なる川で、流域からとれる米で作った球磨焼酎や、鮎が有名です。水が良いことから、鮎が成長し、尺鮎(大きさが30㎝クラスの鮎)と呼ばれるほど、大きくなります。
 前回の行進では、話しを聞くだけで終わったので、今回、食べる念願がかないました。未解禁のため、昨年とれた尺鮎でしたが、美味しかったです。
 昼食が終わって、宣伝カーの註車場へ戻ってくると、行進に参加した婦人が待っていました。
 孫が「国際青年リレー行進」のタスキを掛けて歩き(写真中段)、タスキにサインしたので、そのサインの写真を撮って「孫のお母さんに見せたい」とのことでした。お孫さんは、小学校6年生と2年生の女の子です。
 1時間以上待った、お婆ちゃんの思いに、たいへん感動しました。
 今日の行進距離は、1区間を30余人で2.0㎞歩きました。

 
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