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竹田昭彦・日誌(#20)・6月22日(金) | |||||||||||||||||||
バスの運転手から 手が振られ | |||||||||||||||||||
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天気は、晴れで、カンカン照りにはならず、しのぎやすかったです。 9時、いちき串木野市役所で、平石耕二市議会議長とお会いし、国際被爆者署名を頂きました。 議長は、昨年の市議会選挙で新任されたそうです。 つぎに、中屋謙治副市長とお会いしました。 いちき串木野市の空襲のことを話され、1945年8月9日の空襲は、長崎に原爆が投下された時刻と同じだったのでは、といわれました。 市街地の80%が焼けました。 参照 takeda-a.net/18-6-21 そして、長崎の原爆のキノコ雲写真の背景に、いちき串木野市空襲の煙が上っているのを見せてもらいました。 市は、中学生の修学旅行を、広島や長崎へ行っているので、市の戦争体験の悲惨さをよく伝え、戦争や原爆被爆の学習を深めたいと、話されました。 鹿児島県の東シナ海側に米軍の空襲が多いのは、上陸作戦があったからと、いわれています。 9時25分、市役所前で、出発式を開き、議長、副市長訪問の報告や、参加団体の挨拶を行い、行進へ移りました。 行進が進むにつれ、行き交う車に手を振ると、多くの車窓から手が振られ、激励を頂きました。 そして、買い物帰りの中年の男性は、隊列に加わり数10mほど一緒に歩きました。まさしく、一歩でも二歩でもです。 また、自転車を止めて行進を見ていた年配の男性は、私とハイタッチをしました。 バスも、2台の運転手から手が振られました。なかなか、ないことです。 多くの激励をもらったのは、いちき串木野市の戦争体験と、平和行政が反映しているように思えました。 昼食時間です。串木野港は、マグロの水揚げで有名なので、まぐろ丼を食べました。美味しかったです。 午後、行進は、薩摩川内市の行進へ移りました。 午前と午後と、いちき串木野市在住の2人が、行進に参加され、よかったです。 午後2時50分、薩摩川内市役所へ着き、今日の行進が終わりました。 今日の行進距離は、3区間を12人で8.4㎞歩きました。 |
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