竹田昭彦・日誌(#3)・5月06日(日)    
東京・夢の島を出発
日本政府は 核兵器禁止条約の批准を

2018年平和行進が出発。左からパチリシア・アンヘレスさん、南友佳子さん、米山幸子さん、嶋田紀子さん、竹田昭彦(筆者)、後列の左が永野良祐さん=2018/5/06、東京都江東区
被爆者が先頭で歩く。前列右が90歳の奥田さん=2018/5/06、東京都千代田区
折り鶴のレイを掛けてもらう筆者(右)
=2018/5/06、東京都・日比谷公園
 今日、5月6日から2018年平和行進の幹線コースが出発します。
 北海道→東京コースは北海道の礼文島から、東京→広島コースは東京都江東区の夢の島から、四国→広島コースは高知県宿毛から出発です。
 その後、他の幹線コースも適時に出発します。
 私は、沖縄→広島コース参加で、6月3日に沖縄県の名護市から出発しますが、今日の夢の島コースにも参加しました。
 そして、富山→広島コースの米山幸子さん(富山の朝日町6月7日出発)、長崎→広島コースの嶋田紀子さん(長崎市平和公園7月28日出発)も参加しました。 それは、都合のつく通し行進者は、夢の島コースに参加するのが通例だからです。
 国際青年リレー行進者は、フィリピンから参加のパチリシア・アンヘレスさんです。
 わかやま市民生協からは、東京→広島コースに永野良祐さんが参加しました。わかやま市民生協は、毎年、東京→広島コースを何人かでリレーする方式です。
 今日の天気は、晴天で、半袖のTシャツでも汗が出ました。
 正午、夢の島の第五福竜丸展示館前で出発式が開かれ、主催者の中央実行委員会の挨拶や、来賓の連帯挨拶を頂き、その後通し行進者が紹介されました。
 私は各挨拶を受けて、今年の行進で訴える中心は、日本政府が1日も早く、核兵器禁止条約を批准することだと思いました。
 午後1時、参加者800人が4グループに分かれ、夢の島を出発しました。
 最初の休憩場所、江東区の東陽町公園までは工場や流通センターが多く、人通りの少ない通りです。
 午後2時10分、東陽町公園へ着き、15分休憩して出発すると、だんだん商店も増え賑やかになってきました。歓迎平和行進のポスターも貼らせてもらった店もあり、手を振って激励する人が多くなりました。
 高層マンションから手を振る人もあり、行進者に活気が出てきました。
 午後3時35分、永代橋手前の永代公園で小休止して、東京駅の八重洲口を過ぎると、被爆者たちが待っておられ、先頭を歩きました。総勢23人です。
 最高齢者は、90歳の奥田さんです(写真中段)。足取りも軽く、たいへん励まされました。
 今日の被爆者の参加は、延べ35人だそうです。
 かって、東京都には被爆者が1万人おられたそうですが、年々数百人が亡くなり、現在は5千人になったそうです。平均年齢は80歳を過ぎ、行進に参加できる人は限られてきています。
 被爆者の方たちは、連帯の挨拶などで、国連で核兵器禁止条約が採択されたことを、廃絶に向けた大きな1歩だと喜んでおりました。
 午後4時45分、千代田区の日比谷公園へ着き、今日の行進が終わりました。
 ここで、通し行進者に折り鶴のレイを掛けてもらうセレモニーがありました。折り鶴9条の会からです。これまでなかったことで、嬉しかったです。
 昨年までの行進は、港区役所まででしたが、距離が長すぎるというので、手前の日比谷公園に変更したそうです。これは、1昨年から東京都の実行委員会が再会するようになった結果です。
 港区の人たちは、従来通り港区まで来て欲しいそうです。
 参照 takeda-a.net/16-5-06
 私は、夢の島の出発を早め、港区まで継なぐのも一つの方法かと思いました。
 今日の行進は、参加者が800人で、9.8㎞歩きました。

 
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