竹田昭彦・日誌(#01)・5月07日(月)    
神奈川の行進スタート
東京から神奈川へ引き継ぐ

神奈川県の出発式で県内通し行進者が紹介される。左から伊藤ヒサ子さん、金子満智子さん、塩山東さん、竹田昭彦(筆者)、石崎忠男さん
=2018/5/07、東京都大田区・六郷土手公園
行進参加者の掲げる “日本政府も核兵器禁止条約に参加しよう”のプラカード
=2018/5/07、川崎市川崎区
東京→広島コースのリレー横断幕が東京都から神奈川県へ引き継がれる
=2018/5/07、川崎市川崎区・野毛公園公園
 今日は、神奈川県の出発式と、東京都から神奈川県への引き継ぎ式です。
 天気は、午前は曇で、午後に雨が降りました。
 昨夜、寝るときに転び腰を痛めました。痛みの少ない姿勢で眠りましたが、朝に起きると、歩くことができませんでした。
 これで、平和行進参加は無理だろうと、脳裏をめぐりました。思ってもみなかった現実です。
 午前、娘に病院へ車で連れて行ってもらいました。
 成形外科医の診察を受けると、レントゲン写真では骨や関節に異常がなく、打撲による筋肉の痛みだといいます。骨に異常がないと分かると、痛みが少し和らいだ気分になりました。不思議なものです。
 痛は連続的ではなく、立ったり・しゃがんだり、歩くとき、腰にズッキンと激痛が走ります。
 湿布薬と痛み止めの錠剤をもらい、持参した腰用コルセット巻いて帰宅しました。
 娘は、安静にしていろという。出かけて悪化しても、介護できないといい切ります。
 出かけようとしていたのは、私は昨年に続き、神奈川県内の通し行進者(医療生協かながわ生活協同組合推薦)になっていたからです。
 12時35分、なんとか歩行できるので、出発式に出て事情を話しして帰ろうと、意を決し、自宅を出ました。
 午後1時45分、神奈川県出発式会場の東京都大田区多摩川・六郷土手公園へ、バスと電車を乗り継いで着きました。
 ゆっくり歩きや動く分には、激痛が走らないので、ニュース配布などをしました。
 午後2時30分、出発式がはじまりました。
 体調がよさそうなので、行進参加を決断しました。
 午後3時、行進が出発し、用心しながら被爆者の後ろについて歩きました。
 ここからの、従来の行進は、東京の行進到着を待ち、その後ろを神奈川が歩いて都県境の多摩川に架かる六郷橋を渡って、川崎駅前の繁華街を周回して川崎市役所で引き継いでいました。
 今年は、東京と神奈川が別々の隊列で川崎市役所へ行き、引き継ぎ式をすることになりました。
 そのため、東京の隊列は川崎駅前の周回コースがなくなりました。これも、昨日同様の距離短縮だそうです。
 この件は、昨夜、東京で通し行進者の激励会があり、その激励会で聞いた話です。東京の行進実行委員会の活発な論議は、長年のパターンを見直す兆しだと思いました。
 午後4時、川崎市役所近くの引き継ぎ式場所の野毛公園(市役所再建工事で場所変更)へ着きました。
 直後、東京の隊列が着き、時間通りの引き継ぎ式となりました。
 あいにくの雨天でしたが、東京→広島コースのリレー横断幕、各参加団体のリレー旗などが、滞りなく引き継がれました。
 午後4時25分、終了です。
 夜は、通し行進者と事務局などの交流会がありました。ここには、岐阜県の小倉文夫さん、兵庫県の松浦宜孝さんが出席しました。小倉さんは、岐阜県行進実行委員会の役員をされており、6日の夢の島から川崎の8日まで歩きます。松浦さんは、手製の大きな羽ばたく折り鶴持参し、6日の夢の島から31日の静岡と愛知の引き継ぎまで歩きます。両者とも、各地の行進を学びたいと話していました。
 主席者全員が、行進に対する思いが語られ、平和行進に対する情熱や、通し行進者のコダワリを知るよい機会でした。
 今日の行進は、参加者200人で、2.7㎞歩きました。東京の参加者は200人でした。

 
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