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竹田昭彦・日誌(#09)・7月12日(水) | ||||||||||||||||||||
美祢市・長門市を行進 | ||||||||||||||||||||
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天気は、曇りで、陽の射すこともありました。 9時、美祢市役所で出発集会が開かれ、市長メッセージを総務部長から披露され、激励を頂きました。 市長からのペナントを、イ・ジェファンが受け取りました。彼は、日本風の受け取り方になれてきました。 行進は、市役所を出て、市街地を周回して市役所へ戻りました。 昨年までの美祢市の行進は、合併前の自治体の美祢市、美東町、秋芳町を各行進していましたが、今年からは、3年に1回の持ち回り制にするそうです。今年は、旧美祢市の番でした。 オリンピックは4年に1回ですが、平和行進にも工夫があります。北海道北檜山地区の「せたな町」では、合併前の今金町、瀬棚町、北檜山町を順次に持ち回り、3年に1回旧町にやってくる行進を続けています。 美祢市も、上手く回るだろうと思います。 参照 takeda-a.net/10-6-01 美祢市行進後は、長門市へ宣伝カーで移動しました。 11時、長門市の「みすゞ公園」で出発集会が開かれ、被爆者国際署名のアピール文面を読みました。他でなかったことで、署名の取り組みの意気込みを感じました。 行進は、公園から仙崎港側を通り、大津緑洋高校生100人ほどの遠泳の練習を見ながら、乗船待合室広場の鯨の母子像に迎えられ、みすゞ通りを歩き、仙崎駅で終わりました。長門は、かって捕鯨で栄えたところです。 みすゞ通りは、以前に行進したときより、閑散としていました。 仙崎駅舎で、終了集会が開かれました。駅舎での集会は珍しいです。駅は無人駅で、駅舎が詩人の金子みすゞに親しむスペースになっていました。 長門市の行進で思いだすのは、2006年のとき、被爆二世の会からのメッセージが披露されたことです。 そのとき、被爆二世の会のあることを初めて知りました。今では、全国的に広がっています。 参照 takeda-a.net/06-7-26 午後は、長門市から山口市へ宣伝カーで移動中に、美祢市役所から頂いた秋芳洞の優待券で、鍾乳洞を見学しました。 夜は、山口市行進実行委員会の人たちと交流・夕食会がありました。 今日の歩いた距離は、15人前後で3.7㎞です。 |
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