竹田昭彦・日誌(#02)・7月05日(水)    
広島→長崎コース
広島平和公園を出発

平和行進「広島→長崎コース」が広島平和記念公園を出発。右から広島県実行委委員会代表山田昭夫さん、国際青年リレー行進イ・ジェファンさん、東京都原水協の嶋田紀子さん
=2017/7/5
廿日市市の行進中に市民から袋に入れた折り鶴が託される=2017/7/05
日清戦争中に国会機能を広島に移し広島市が事実上の首都になった「臨時帝国議会仮議事堂跡」地のプレート=2017/7/05
 9時45分、平和行進「広島→長崎コース」の出発集会が開かれ、はじめに原爆犠牲者の御冥福と核兵器廃絶を願い黙祷を捧げました。
 広島県実行委員会を代表して挨拶した山田昭夫さんは、「国連で核兵器禁止条約制定の会議が開催中で、廃絶に向けた大きな前進」を話しました。
 連帯の挨拶をした広島県生協連代表の森畑哲司さんは、「被爆者国際署名をJA(農協)の方たちと取り組む」旺盛な活動を話しました。
 長崎まで通し行進をする東京都原水協代表の嶋田紀子さん、韓国の体育市民連帯代表の国際青年リレー行進者のイ・ジェファン、個人参加の竹田の人が、長崎まで歩く思いを話しました。
 今回の行進は、7月7日の国連決議を受ける、文字通りの大行進になるでしょう。
 行進は、台風通過の雨天でしたが、長崎へ向けピースコールをしながら元気に進みました。
 ピースコールには、訴える工夫をしてありました。
 宣伝カーから、「ヒロシマ・ナガサキの悲劇を繰り返してはいけません」と流れると
 行進者が、「イケン! イケン!」と唱和します。
 「イケン」は広島弁で、「いけない」意味です。
 シュプレヒコールの語尾が命令調の甲高い訴えよりも、お国言葉で市民に聴いてもらえるとの思いです。
 行進の出だしでは、スムースに行かない面のもありましたが、進むにつれ調子が上がってきました。
 途中では、従来のシュプレヒコールに戻る場面もありましたが、回を重ねる毎に行進と沿道の市民との連帯感が高まって行くことと思います。
 広島市佐伯区、廿日市市の行進では、沿道の市民から、多くの折り鶴、署名が託され、募金も頂きました。
 事前に地域の人たちが、平和行進通過お知らせポスターを、商店などに掲示して貰い、各戸には折り紙、署名用紙、募金のお願いをしてあります。
 それに応え、寄せられたのです。
 参照  http://04-8-03.html
      http://09-7-04.html
 この取り組みは、長年続けられており、ここを行進する毎に胸が熱くなってきます。
 午後5時過ぎ、廿日市市役所へ着き、初日の行進が終わりました。
 そのとき、地元の人から声をかけられました。坂本千尋さんです。坂本さんには、2004年のとき初めてお会いしました。折り紙のお願いや署名活動を熱心に行っていました。
 昨年通ったときには見えませんでした。だいぶ前から病気になったそうです。今日、お会いでき、喜びあいました。
 今朝、平和公園へ向かう途中で、「臨時帝国議会仮議事堂跡」地を見ました。その場所には、小さな説明プレートがありました(写真下)
 国会が広島にあったことを初めて知りました。日清戦争を明治天皇が、軍都の広島で指揮するためでした。首都機能が広島市だったのです。戦争一色の怒りが、さらに深まりました。
 そして、豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争の拠点、佐賀県唐津市の名護屋城を思いだしました。
 今日の歩いた距離は、区間により100~30人で15.2㎞です。

 
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