竹田昭彦・日誌(#13)・7月09日(土)  

 
お茶栽培の発祥地
 

吉野ヶ里町を行く


佐賀市役所の出発集会で挨拶するイ・ジミンさん(左)と通訳のアレクサンドラ ウィーバーさん
=2016/7/9
松本茂幸神崎市長(右)からペナントを託される筆者=2016/7/9、神崎市役所
長崎街道神崎宿の「ひのはしら一里塚」を行く=2016/7/9、神埼市
多良正裕吉野ヶ里町長(左)からペナントを託される宮後登さん=2016/7/8、吉野ヶ里役場
 今日は、佐賀市、神埼(かんざき)市、吉野ヶ里町(よしのがりちょう)の役所訪問と行進です。
 天気は、晴れのち曇りでしたが、昨日の雨で湿度が高く、蒸し暑かったです。
 9時、佐賀市役所で出発式が開かれ、赤司邦昭副市長から激励の挨拶と、ペナントを託されました。
 通し行進者を代表してイ・ジミンさんが英語で挨拶しました。その日本語通訳を、佐賀市役所の国際交流員のアレクサンドラ ウィーバーさん(米国)がされました。彼女を、行進出発時のリレー横断幕を持つ記念撮影に案内すると、にこにこして応じられました。
 午後2時20分過ぎ、神崎市役所の室内で歓迎集会が開かれ、松本茂幸市長から激励の挨拶と、ペナント、国際署名(165筆)が託されました。ペナントは、筆者が受け取りました。
 神埼市役所近くの長崎街道の神崎宿に、江戸時代設置した「ひのはしら一里塚」(佐賀県遺産)が保存されています。長崎街道で、築山(底部9㎡、高さ3m)の原型が現存するのは、ここが唯一だそうです。
 一里塚は、江戸へ向かって1里(4㎞)毎に、街道の左側に築山され、距離の里程と休息場になりました。今でいうなら、高速道路のパーキングエリアでしょうか。
 午後4時、終点の吉野ヶ里町役場のロビーで歓迎集会が開かれ、多良正裕町長から激励の挨拶と、ペナント、国際署名が託されました。ペナントは、佐賀県内通し行進者の宮後登さんが受け取りました。
 吉野ヶ里町は、弥生時代の遺跡を保存する吉野ヶ里遺跡公園で有名ですが、町長は「日本のお茶栽培発祥の地」の話しをされました。
 その栽培地が、吉野ヶ里町の背振山で、800年前だそうです。
 当時、臨済宗の開祖「栄西禅師」が中国から茶種を持ち帰って植えたことから、「栄西茶」のブランドで市販しています。
 その茶のペットボトル入りを冷され、行進者に振る舞われました。
 初めて聞くことで、集会終了後、町長と長話になり、私は興味がつきませんでした。
 佐賀県内通し行進者の宮後さんは、教員OBで、のぼり旗「教え子を再び戦場に送るな」を掲げ、行進しています。佐賀県で、県内通し行進者が名乗り出たのは、何年ぶりだそうです。宮後さんは、長崎の被爆の実相や、県内の歴史に精通しており、昨日食べた「宿場ようかん」の案内も、その一例でした。
 今日の行進は、7区間を参加者55~40人前後で14.7㎞歩きました。

 
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