竹田昭彦・日誌(#01)・6月27日(月)  

長崎市 散策
戦後5年で 軍需産業復活


 
91式魚雷=2016/6/27、三菱重工長崎造船所資料館  
 
長崎名物の角煮饅頭=2016/6/27、長崎市光町  
 
100年余稼働し続けるジャイアント・カンチレバークレーン=2016/6/27、三菱長崎造船所  
 
歓迎夕食会(左から)キム・ジョング、イ・ジミンさん、佐藤澄人さん、田中弘法さん、五十嵐成臣さん、筆者=2016/6/27、長崎市  
 昨夕、長崎市に着き、今日は市内見学です。
 天気は、あいにくの雨でした。
 10時前、長崎県原水協の事務所を訪問し、佐藤澄人事務局長と「長崎→広島コース」の打合せをしました。
 その後、佐藤さんの紹介で、三菱重工長崎造船所資料館へ行きました。
 造船所の歴史は、前身の長崎鎔鉄所建設(1857年=安政4年)からはじまり、今年が159年目でした。
 資料館には、日本最古の工作機械の竪削盤(国の重要文化財)の展示があり、興味が湧きました。鎔鉄所建設時にオランダから購入し、100年働いたそうです。
 次に注目したのは91式魚雷です。1931年(昭和6年)から採用され、終戦まで9千本製造しました。
 真珠湾攻撃でも使われ、米国に脅威を与えました。『長崎は日本最大の三菱造船所ならびに修理施設があり、兵器(魚雷)の生産も重要位置をしめている」(米国「マンハッタン計画」最高責任者レスリー・R・グローブス将軍の証言)』(被爆70年 戦争する国づくり三菱の兵器生産=三菱長崎造船所原水協刊行より)と言われ、長崎が原爆の「標的」になったのです。
 戦後の兵器生産の再開をみると、5年後には軌道にのりました。
 1950年の警察予備隊(令)、51年の日米安保条約、52年の保安隊、そして、53年に保安隊を自衛隊へと改称して軍事強化をしました。
 その米国の押しつけと相まって、根底には52年の経団連の防衛生産委員会立ち上げ、53年の兵器生産協力会を日本兵器工業会に改称・強化があります。
 そうして、同53年には、防衛生産委員会が軍事力試案で「兵力50万人の軍拡構想」を提言しました。
 その結果、2014年の「集団自衛権の行使」閣議決定、15年に「安保関連法」(戦争法)を強行したのです。その上、今年6月7日、フランスの武器見本市には防衛整備庁をはじめ、三菱電機、NECなど10社が参加しました。
 戦後71年、いまだ、沖縄の地上戦や東京大空襲などで数10万の国民が死に、犠牲に対する日本政府の法的援護がありません。
 金もうけ、資本の論理は凄まじいです。「戦敵」をつくれば、何でもありと言うのでしょうか。
 昼、佐藤さんの案内で食べた長崎名物の角煮まんじゅうは、とても旨かったです。豚バラ肉をじっくり煮込んだ角煮を、フワッとした生地ではさんで蒸したまんじゅうです。初めて食べました。
 午後は、佐藤さんの車案内で市内を巡り、多角的に湾内や造船所群を見せて貰いました。
 造船所シンボルのジャイアント・カンチレバークレーン(電動、150㌧)を、遠目に見ましたが、それでも大きかったです。1909年(明治42年)の建設から1世紀経った、現在も稼働しています。世界最古の現役電動クレーンだそうです。
 夜の8時30分過ぎ、長崎駅前のバスターミナルで、「韓国体育市民連帯」から国際青年リレー行進に参加する、キム・ジョングさんとイ・ジミンさんを、長崎県原水協佐藤澄人事務局長、長崎市原水協田中弘法事務局長、五十嵐成臣通し行進者、筆者の4人で迎えました。
 ホテルへ案内後、遅い夕食となりましたが、初対面者同士の思いが通じ合ったと思います。

 
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