竹田昭彦・日誌(#65)・7月07日(火)  

寒天街道を 尋ねる

 
戦没した父の遺影を胸にかけて行進する(右から)上田美毎事務局長と上田厚子事務局次長
=2015/7/07、茅野市
 
 
お握り、スイカなどの昼食接待
=2015/7/07、茅野市・神之原公民館
 
 今日は、茅野市、原村の行進と役所訪問、富士見町の行進です。
 天気は、小雨を繰り返し、夕方止みました。大雨にならずよかったす。
 午前10時10分、茅野市の運動公園にある「原爆の灯・平和の塔」前から、行進が出発しました。
 この灯と塔は、市民の募金と市の協力で1995年、茅野市原爆の火・平和の塔建設実行委員会が建立しました。
 塔の上部に設置された原爆の灯は、大きな炎で燃えていました。燃料費は、市が負担しているそうです。 折り鶴の形で作ったステンレス製の浄財箱が、とても素敵でした。
 今日の行進には、私の通し行進者の推薦団体である「平和遺族会(戦争に反対する戦没者遺族の会)」の上田美毎事務局長と上田厚子事務局次長が千葉県から来られ、一緒に歩きました。心強い限りです。
 上田夫妻は、戦没した各父の遺影を胸にかけ、戦争反対を訴えました。遺影は注目され、同年代の方々との会話や、メディアの取材もありました。
 昼食は、茅野市神之原の公民館で、お握り、漬け物、スイカなどの接待がありました。地域の人たちの、恒例の接待です。行進者たちは、楽しみにしており、美味しく食べました。このような昼食は、長野で、ここだけでした。
 午後5時45分、富士見町の役場前から、病院の仕事を終えた青年たちが、30人ほど参加しました。たいへん賑やかになりました。国際青年リレー・タスキを掛けもらい、その青年を含め3人が先頭のリレー横断幕を持ちました。堂々と歩かれ、頼もしい限りでした。
 午後6時、JR富士見駅に行進が到着し、今日の行程が終わりました。終わると、青年たちは、リレー横断幕を持って、歓声を上げながら記念写真を撮っていました。
 この4月、静岡県伊豆半島の河津町で「寒天橋」を見たことから、寒天の産地・茅野市と、天草の産地・下田市を結ぶ、「寒天街道」があったのではと推測しました。諏訪市や茅野市などで色いろ尋ねたが、分かりませんでした。諏訪地方は、塩が太平洋側から入っていたので、下田から陸路か海路で静岡市へ運び、富士川の水運を利用していたかも知れません。行進で通った茅野市玉川穴山の街道には、信州寒天元祖の碑がありました。
 行進は、11区間を参加者20~50人で17.7㎞です。