2014年 原水爆禁止 国民平和大行進  
竹田昭彦日誌(#78)・7月22日(火)
〈 県内通しの滋賀さん 孫と歩く 〉
国際青年リレーのマニシャさん(左)とソフィアさんが饅頭を食べてエネルギーを補給=倉敷市堀南
県内通し行進者の滋賀雅子さんと孫(中央)が歩く=倉敷市水島
高梁川に架かる旧霞橋を渡る=倉敷市船穂
 今日は、倉敷市の市役所及び水島支所の訪問と行進です。
 天気は、曇りのち晴れですが、時々雲がかかりました。
 気温は上がりました。
 9時、倉敷市役所で出発式が開かれ、市長メッセージを総務部長がら披露され、市長、議長からのペナントを頂き、今日の行進がスタートしました。
 市職労からは、千羽鶴が託されました。
 昨日の児島支所でも、市職労児島支部から千羽鶴が託されました。
 千羽鶴を、市職労の各支部で取り組んでいるようです。
 午前に休憩した場所が、菓子作りの店でした。
 毎年の行進で、お世話になっているそうです。
 饅頭が名物です。 
 饅頭を、ソフィアさんとマニシャさんに食べてもらいました。
 マニシャさんは、食べ物が食習慣とあわず、食がすすんでいなかったのです。
 それぞれの国に、食習慣や食文化があり、外国から来た人が日本の食べ物を、何でも食べられる訳ではありません。
 不安でしたが、美味しそうに食べたので、エネルギーの補給になったと思います。
 ソフィアさんが、少々体調を崩されていたので、パワー・アップです。
 午後0時55分、水島支所からの行進では、岡山県唯一の県内通し行進者の滋賀雅子さんが、地元で孫(4歳)と一緒に歩きました。
 孫は、平和行進に「行く、行く」と張り切っていたそうですが、後半に眠くなりました。おばあちゃんの「もう少し、もう少し」のかけ声で、次の休憩所まで3卻發ました。
 雅子さんにとっては、孫と歩け、何よりの励ましになったと思います。
 なお、孫は一人で、近々二人目が生まれるそうです。
 午後3時、高梁川に架かる旧霞橋(約600)を渡りました。
 直ぐ下流に新霞橋(国道429号線・山陽道)ができたことから、旧霞橋は歩行者専用になりました(自転車通行可)。
 行進隊列が横に広がって、安全に歩けます。
 七連の曲弦ワーレントラス橋で、絵になる光景です。
 渡り切る所で、カメラマンが脚立に乗り、シャッターを押していました。
 渡った堤防が休憩所で、スイカの接待が恒例です。
 この橋を、私が渡るのは、1995年反核平和マラソン「東京〜長崎1500繊廚魎泙瓧飢麑椶任后
 全国の平和行進でも、印象強い大橋です。
 午後3時50分、1958年の第1回目の平和行進に参加した柚木進子さんの自宅前で、経緯を聞きました。
 当時、クリスチャンの増本紫雲さんが玉島から東京まで歩き、看護師の柚木進子さんが船穂から県内を歩きました。
 その後、進子さんが毎年歩かれ、2007年94歳で亡くなりました。
 両人は、岡山県平和行進の先駆者で、地元の方たちは誇りにしています。
 現在は、進子さんの娘の柚木康子さんが引き継ぎ、行進しています。
 午後4時5分、倉敷市船穂支所へ到着し、全員集合の記念撮影をして、今日の行進が終わりました。
 今日の行進は、参加者が区間により40〜80〜40人前後で16.8卻發ました。
             
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