港区、品川区、大田区の行進と東京都から神奈川県へ引き継ぎです。
昨日の寒さに変わる晴天で、行進日和となりました。
Tシャッツ1枚だけでも好いほどでした。 |
港区長からペナントを託される |
9時45分、港区役所近くの区立芝公園にある平和の灯の前で出発式が開かれ、区長からのメッセージを菊池朗子人権・男女平等参画担当課長から披露され、ペナントを託されました。
港区は、1975年(昭和60年)に平和都市宣言をしています。
平和の灯は、宣言20周年を記念して、広島市の平和の灯と長崎市の誓いの灯を合わせて灯しています。
芝公園は、有名な増上寺の南隣にあり、背景に東京タワーも見え、素敵なところです。なお、平和の灯は写真(上)後方の円形枠の中央部にあります。
平和宣言は、品川区が1985年に、大田区が1984年にしています。
大田区の平和宣言を紹介します。
平和都市宣言
平和って なあに
しあわせな ことよ
しあわせって なあに
自由で楽しいくらしができること
だから 世界中の人と 力をあわせて
大切な 平和を守らなければ いけないの
地球上どこへ行っても 笑顔があるように...
この人類共通の願いをこめて 大田区は
平和憲法を擁護し核兵器のない
平和都市であることを宣言する
昭和59年8月15日
大田区
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アナウンサーの呼びかけで 激励広がる |
昨日と今日と、宣伝カーのわきを歩きながらワイヤレスマイクを離さず、終日アナウンサーを務めたのは、うたごえ合唱団の大熊啓さんです。
ときにはギター、三線を駆使したり、身振り手振りのパフォーマンスです。各区の平和宣言の紹介、沿道の名所・旧跡と平和の関わりを入れたガイドをします。
そして、寿司店の前を通ると、寿司屋さんと、ビキニ環礁水爆実験(1954年3月1日)によるマグロの関わりなど、機知に富んだ解説と、進行のスタミナにびっくりしました。
大田区の平和島は、戦前は捕虜収容所で、戦後にA級戦犯東条英機を含む閣僚、将官の収容所だったと知りました。
その経緯を払拭して、平和島と呼ぶようになったそうです。
行進者も力が入り、行き交う人や車窓に、店舗に、マンションに、手を振り・声をかけると、手が振られ、たくさんの激励をもらいました。
15時、都県境の多摩川の六郷大橋手前で、行進を止めずに、神奈川人たち合流して橋を渡り、川崎市役所前の繁華街を行進しました。
16時、川崎市役所玄関前で東京都から神奈川県へ引き継がれ、リレー横断幕と各団体ののぼり旗が手渡されました。
夜は、通し行進者の激励夕食会がありました。 |
港区を出発したときの参加者は140人でしたが、途中から増えて、品川区で170人、大田区で200人を超えました。
多摩川の六郷大橋手前で神奈川の人たち合流すると、総勢500人の隊列になりました。
今日の歩いた距離は18㎞です。 |