竹田昭彦日誌(#85)8月01日(水)
〈 沿道募金続々と 呉で9万円 〉
 呉市の行進です。
 9時20分、JR呉線の仁方駅前で出発集会を開き、今日の行進がはじまりました。
 仁方駅前から出発したのは、1昨日(7月30日)に呉市の東部の「安浦町」と「川尻町」の行進が終わっていたから、「川尻町」の西隣の仁方にしたそうです。
 合併の影響で、地元の人でないと分かりにくい、呉市を行ったり来たりするコースです。
 合併前は、同じ豊田郡に属していた「安芸津町」は東広島市と合併し、「安浦町」と「川尻町」は呉市と合併し、別々の市になったからです。
 それで、従来から竹原市と豊田郡を受け持っている平和行進実行委員会が、東広島市の「安芸津町」、呉市の「安浦町」と「川尻町」の行進を1昨日に行ったのです。
 平和行進の地域組織は、合併前の旧態のままと言う訳でした。
被爆体験を話す宮迫豊子さん(右)=呉市広高校門前
 11時過ぎ、休憩で、県立広高校へ到着すると、鮮やかな赤い色をしたシソ(紫蘇)ジュースの接待がありました。シソジュースを作って接待されたのは、被爆者の宮迫豊子さん(80歳)です。毎年、シソジュースで接待されているそうです。冷えていて美味しかったので、おかわりしました。他の人も、おかわりしたり、ペットボトルに入れていました。
 宮迫さんは、休憩後、被爆体験を話されました。12歳のときに広島で被爆し、体にケロイドの跡があるそうです。少しでも長生きし、原爆被爆の実相を伝えたいと語りました。
 福島の原発事故があったことから、「放射能の被害者をださない」との思いが強くなり、昨年から被爆体験の語り部をするようになったそうです。
「2012年折り鶴の願い」の文書と募金封筒
 午後3時40分、呉市役所へ到着し、今日の行進が終わりました。
 沿道募金の集計は、91,172円でした。最近の募金では、最高額と言うことです。尾道、竹原、呉、と最高額が続いています。
 呉市の場合は、事前(7月25〜29日)に、折り鶴を貼った「2012年折り鶴の願い」と封筒(写真)、他に、行進通過時間一覧、署名用紙を、行進沿道の各戸へ2000枚配布してありました。
 そのうえ、行進当日は、行進団の前を行く宣伝カーの他に、さらに500bくらい前を行く宣伝カー(前ぶれカー)を配車していました。「前ぶれカー」が、「これから平和行進が来ますよ!」とお知らせする訳です。
 その、積極的な取り汲みにより、商店街や市街地などでは、募金や署名用紙を入れた封筒を手に、平和行進の来るのを待っている人が多くありました。
 午後5時、呉駅前の森田食堂で、恒例の「通し行進者と呉の仲間 交流の夕べ」を開いて頂き、呉の平和行進の半世紀を語るよい集いでした。沿道募金の最高額は、1970年代に1日で30万円があったそうです。今では、考えられない金額です。
 今日の行進は、区間により参加者45〜35人で延べ13.9q歩きました。