竹田昭彦日誌(#75)7月22日(日)
〈 岡山行進のルーツ 船穂町を歩く 〉
 倉敷市の市役所訪問と行進です。
 9時、倉敷市役所前で出発式が開かれ、市長代理の総務部長さんから、市長さんのメッセージが披露され、ペナントを頂き、今日の行進が出発しました。
 岡山の行進では、行進者の先頭に総指揮者がおり、担当者は、行進区間を選挙地盤とする共産党の議員さんが多いです。地域のことをよく知っており、興味ある地元のことを質問すると、明快な答えを頂けます ( 参照 \2007-7-22 )。
倉敷医療生協の健寿病院「老健あかね」で折鶴を託される
 午後の行進で、倉敷医療生協の健寿病院「老健あかね」を訪問しますと、入所している大勢の方と職員さんが出迎えられました。そして、広島の平和公園に捧げる折り鶴を、通し行進者へ託されました。
 私は、車いすに乗ったご婦人から、ズッシリと重い千羽鶴を受けとりました。「お元気で!」と話しますと、にっこりされ、握手をしました。「老健あかね」の入所者は、毎年、平和行進がやってくる来るのを楽しみに、折り鶴を折っているそうです。
柚木康子さんと記念撮影=倉敷市船穂町の柚木宅
 午後3時55分、行進が倉敷市の船穂町を通ったとき、行進を止め、岡山の平和行進史のワンポイント学習会がありました。 止まった場所は、柚木(ゆのき)宅前です。
 ワンポイント学習の概略は、「いまから54年前、最初の平和行進がおこなわれました。1958年6月20日、西本あつし(敦)さんが広島を出発。26日岡山県に入り、27日に玉島に到着。増本さんが玉島から東京まで歩かれました。
 あわせて柚木進子さんが西本、増本さんを支えて岡山県内を全日歩かれましたのです(現場で配布の資料より)」。
 その後、進子さんは、毎年、平和行進に参加して、岡山の平和行進に寄与され、97年8月31日に他界しました。
 私が97年に船穂、玉島を行進したときは、進子さんが入院中で、お会いできませんでした。
 けれど、娘の柚木康子さんとお会いし、お母さんと行進した思い出など聞きました。
 この地域は、岡山平和行進のルーツなのです ( 参照 \2008-7-24 ) 。
 今日は、行進区間により参加者80〜100〜60人で、延べ17.5q歩きました。