竹田昭彦日誌(#58)7月05日(木)
核兵器のない世界を 被爆者の生きている中に
 網の目コースの大東市、四條畷市の役場訪問と行進、寝屋川市の行進、交野市、枚方市の役場訪問と行進です。
 今日は、幹線コース(守口市、門真市、寝屋川市、枚方市)を歩く山口さん、渡邉さんと別れ、網の目コースを歩きます。
 昨日の大阪市住吉区の出発集会で披露された、被爆者高木静子さんのメッセージを紹介します。

 平和行進ご参加の皆様、ご苦労様でございます。
 特に、この夏の日々を、全国通し行進をなさいます方々に、感謝申し上げます。
 私こと、広島の被爆者として、この平和行進に加わらせていただきますこと、最近のように、出発時に、一言だけでも・・・と思っておりましたが、今回、入院のため、残念ですが、参加出来ません。総胆管異常が確認されて、二度の手術が予定されています。
 万代二丁目の、わが家でありますマンション六階での「国民平和大行進・歓迎」の横断幕も、丁度三十年間続けさせていただきましたが、終わります。テラスに取りつける仕事が、力と要領がいりますので、無理になりました。被爆婦人達が集まって、体が弱いながら横断幕を作った時、平和を愛する瞼をきらきらさせていましたが・・・ 。「一人になっても」の思いが強かったのですが、残念に思っています。
 非核平和をめざして歩み続ける皆さん方の心は届かず、世界の核兵器は減りません。米ロ中心に、地球上には、今も三万発存在しております。そして、被爆国日本で起きた福島原発爆発、真相もわからぬままの、大飯の再稼働、原爆放射能被害は忘れられたのでしょうか? 被爆者は、存在していても、役にたたなかったのではないか?と思われてなりません。
 核兵器のない世界を、被爆者の生きている中に・・・と考えていたことが、もう残り時間が少なくなったと、つくづく感じつつ、どうぞ、皆さん、頑張って下さい! と 心から申し上げます。
二〇一二年七月四日
被爆者 高木静子


 2007年に住吉区を行進したとき、高木さんが6階のベランダに「国民平和大行進・歓迎」を掲げ、手を振る姿を見ました( 参照 \2007-7-04 )。今回は、見ることができません。
 「核兵器のない世界を、被爆者の生きている中に・・・」、高木さんのメッセージを受け、涙し、歩ける元気なものが、頑張らなければ、と決意を新たにしました。
四條畷市長の歓迎メッセージを披露する副市長
 四條畷市役所訪問では、職員約40人の出迎えを受けました。
 歓迎の集会場所が広くなかったこともあり、行進者約70人と合わせると、いっぱいの状況で、身近に感じました。
 答礼の挨拶をした私は、昨年行進した福島県内の原発事故による避難地(二本松市)の放射線量が高く、子どもを外で遊ばせられないこと、今年行進した和歌山、三重で原発を造らせなかった成果を具体的に話しました。
日本航空の不当解雇撤回を訴えるパイロット
 夕方、枚方市役所に網の目コースと幹線コースが合流しました。市役所入り口の交差点で、両行進が出会うタイミングです。
 幹線コース先頭の山口さんが大声で「竹田さーん!」と呼ぶ声が届きました。総勢200人を超えており、旗がなびき壮観でした。
 終了集会では、日本航空(JAL)の不当解雇撤回を訴える客室乗務員とパイロットの方の訴えがありました。2010年12 月 に客室乗務員とパイロット165人を整理解雇 しておきながら、今年と来年で710人採用する矛盾する話しでした。
 資本の論理は、組合をつぶし、働く人たちを分断し、過酷な労働を強い、利潤のみを追求する作戦です。不当解雇撤回を支援しましょう。
 今日は、5区間を70人前後で延べ21.6q歩きました。