竹田昭彦日誌(#53)6月30日(土)
〈 奈良から大阪へ引継 〉
 奈良県から大阪府への引き継ぎです。
 行進は、大阪府の柏原市、八尾市、東大阪市です。
 10時30分、通し行進者の山口さん、渡邉さん、竹田が、梅林さん(奈良県原水協事務局長)の運転する宣伝カーで、奈良駅前の宿から1時間余りかかって、引き継ぎ場所の大阪府の柏原市役所前(リビエールホール)へ行きました。
 12時45分、柏原市役所前の河川敷広場で、奈良県から大阪府への引き継ぎ集会が開かれ、奈良県の行進団を代表して挨拶した梅林光生さんは、「今年は通し行進者が和歌山コースと東京コース入り盛り上がったこと。奈良市役所で原爆パネル展を初めて実施した成果」など報告しました。
 大阪府の代表者挨拶では、府内の通し行進10人が紹介されました。その中に、府原水協理事長の岩田幸雄さんが含まれており、取り組みの凄さを感じました。
大阪府柏原市を行進
 引き継ぎ式は、リレー横断幕や団体リレー旗を引き渡す方式を取らず、大阪の出発式風でした。
 集会後、直ちに行進へ移り、お世話になった奈良県の人たちに別れの挨拶する間もなかったです。奈良県を無事行進でき、奈良県の皆さん、ありがとうございます。
 行進に入って間もなくすると、雨降りとなりました。
雨天に負けず歌声で激励=八尾市役所
 柏原市を出発してから、2時間10分歩き通して八尾市役所に着きました。2時間も休みなく歩いたのは、今年の行進で初めてです。靴がビショ濡れでした。
 休憩した八尾市役所前では、雨を吹き飛ばすように合唱団の人たちが歌を歌い、参加者を激励されました。
平和行進団を激励する東大阪市原爆被爆者の会の多久忠男会長
 午後5時15分、東大阪市の若江岩田駅前公園で終了集会が開かれ、歓迎の挨拶をされた東大阪市原爆被害者の会の多久忠男会長さんは、被爆体験を小中学生に話す「語り部」の中で、寄せられた感想文を披露されました。
 感銘を受けました。紹介します。
    原子爆弾が投下されたのは、日本が、長い間、続けてきた戦争の結果です。
  日本が、この戦争によって得たものは、何だったのだろうか ?
  何も得ていません。
  でも、それによって、日本は人の生命の重みと、平和の大切さを知ったのでは、ないでしょうか ?
  これは重要な宝だとと思います。
  しかし、私たちは、この宝を手にいれるまでに、余りにも多くの犠牲を払い過ぎました。
  だからこそ、もう二度と戦争という過ちを、犯さないように、
  そして、多くの人の、命を失って得た、大切な宝を、手放さないように、
  21世紀を生きる私たちの役目なんだと思います。
 
   今日の行進は、約250人で12.6q歩きました。