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竹田昭彦日誌(#33)6月10日(日) |
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〈 歩け歩け25` 伊勢参宮街道 〉 |
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伊勢市、明和町、松坂市の行進です。
昨日の雨天と変わり、晴天の行進になりました。20q以上歩く日だと昨日知り、バテないよう体調を整えました。晴天で、汗が出と思い、長ズボンを短パンに切換えました。 |
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伊勢市役場の出発集会挨拶する筆者 |
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8時30分、伊勢市役所の「非核平和宣言都市」塔まで、出発集会が開かれました。
挨拶をされた伊勢市の鈴木健市長さんは「原発再稼働に断固反対」と話され、参加者から拍手がわきました。市長さんは、三重県で唯一「脱原発をめざす首長会議」に入っています。1975年生まれの若い市長さんで、エネルギッシュにみえました。
私の挨拶では、「市長さんに激励のエネルギーをいただき、今日の行進は最後まで歩けます」と決意表明しました。 |
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」 |
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父と子の3人で平和行進 |
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本日は、日曜日で天気よく、子どもたちの参加がありました。父と子の3人で参加した家族に、手持ちの東京原水協作成の「いま、核兵器の廃絶を」の横断幕を持ってもらうと、喜んで歩いていました。 |
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日赤病院労組の旗を掲げて平和行進 |
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3人の看護師さんが、赤地に白の「全日赤」の旗を掲げ、たいへん目立ちました。伊勢赤十字病院労組の方たちです。
この病院は、昨年まであった「山田赤十字病院」(御園町)が、移転新築(船江)され、名称を「伊勢赤十字病院」に改名されました。病院の歴史は、1899年(明治32年)に誕生し、看護師養成の役割も担ってきました。戦時中は、従軍看護師の派遣もあったようです。今は、三重県災害拠点病院になっており、昨年の東日本大震災では、翌日に現地入りしたと聞きました。
組合旗の名称も新しくなり、「お披露目でせすね」と話しますと、にっこりされました。核兵器をなくすまで、隊列に輝くことでしょう。
行進は、主に参宮街道を歩きました。千本格子で、軒先が長い(約1.5b)家並みが、10`も続く街道を初めて見ました。他に例を見たことがありません。あっても数`です。伊勢神宮の歴史に圧倒されました。
今日の行進では、伊勢市長さんと議長さん(代理)、明和町長さんと議長さんから、激励の挨拶をいただきました。
参加者は、区間により75〜30人で、歩いた距離は25q(携帯電話GPS測定)でした。これまでの最長距離で、いっぺんに陽に焼けました。 |
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