竹田昭彦日誌(#34)6月11日(月)
〈 思い出の 志摩半島 〉
 鳥羽市、志摩市の市役所訪問です。
 今日は行進がなく、午前中の役場訪問だけでした。 
鳥羽市役所訪問で(左)木田久主一市長からメッセージをいただく
 鳥羽市役所訪問では、木田久主一市長さんと坂倉紀男議長さんにお会いしました。
 冒頭、市長さんから平和へのメッセージが披露され、私がお受けしました。
 そして、地元の参加者たちと平和行政などについて要請をしました。
鳥羽市長のメッセージ
 鳥羽市長さんからいただいたメッセージは、白紙に印刷したものではなく、市のシンボル「麻生の浦大橋」を背景に書かれてありました。初めて拝見する書式です。
     
  志摩市役所訪問で(左り奥く)大口秀和市長にお会いする   
   志摩市役所訪問では、お会いした大口秀和市長さんから、大飯原発の運転再開について「運転すべきでない」と強く言われ、『 「脱原発をめざす首長会議」には入らないが魂は同じ 』と話されました。
 戻りカツオの捕れる時期になると、東北の海をUターンしたカツオの放射能汚染問題が起きるのでは、と心配していました。
 志摩市は、7月19日から31日まで志摩文化会館で、また8月2日から19日まで、阿児アリーナで「非核・平和パネル展」を開催します。いただいた資料には「最大の人権侵害である戦争と核兵器について、また、平和の大切さと命の尊さについて考える機会としていただくためにも、ぜひご覧ください」と、格調高く書いてありました。開催期間も長く、平和行政の熱意を嬉しく思いました。
 志摩半島は、1997年2月16日開催の「第1回浜島リゾートマラソン大会in合歓の郷」マラソン大会で、妻と一緒に走った思い出のところです。
 その1か月余後、妻が保育園の勤務中に倒れ、永眠しました。国府の白浜海岸で撮った写真を仏前に飾ってあります。平和行進を休まず続けられたのは、妻が見守ってくれたからと感謝しました。