竹田昭彦日誌(#29)6月06日(水)
〈 不死鳥 第五福竜丸 〉
   
  古座川。中央の橋は古座橋=2012/6/05、河口の古座大橋から撮影(2018年1月写真追加)  
 昨日の続きです。
 古座駅から串本駅へ電車で移動し、駅から5分ほど歩いた「串本町文化センター」に行きました。
 2階ロビーに展示された、第五福竜丸の建造で使った「船大工道具」を見ました。
第五福竜丸の建造で使用した船大工道具=串本町文化センター展示
 展示の船大工道具は、第五福竜丸を建造した船大工8人の1人、西田繁三さんが町に寄付したものです。
 写真
の番号7、8は、船体の組み板の間に防水具材のマキハダ(ヒノキの樹皮)を埋め込む道具です。マキハダは、海水で濡れると膨張し、.水漏れを防ぎます。
 建造に使われ、唯一残った道具を後世に伝え、第五福竜丸を語りつぐ常設展示です。
 串本町が2010年8月「平和展」を開催したときの「ビキニ事件と第5福竜丸」コーナーの説明書には、「福竜丸の歴史を語り継ぐことが、建造の地からの情報を発信することが、おろかな核兵器使用の過ちを繰り返さない確かな力となる」と、書いてありました。
 なお、「第五福龍丸建造の地」記念碑から、車で古座大橋を渡って隣の那智勝浦町へ向う右側が、関電の「荒船原発」を造ろうとした場所です。
第五福竜丸遍歴図
    【 第五福竜丸の遍歴 】
1946年9月 神奈川県三浦市の寺本正一氏が故郷の古座造船所にカツオ一本釣り漁船の建造発注
1947年3月20日 古座造船所で「第七事代(ことしろ)丸」進水
1951年 静岡県静岡市の金指造船所でマグロ漁船に改造
1953年5月 「第七事代丸」を静岡県焼津市の西川角一氏に売却、船名を「第五福龍丸」と改名
1954年3月1日 ビキニ環礁北東海上で米国の水爆実験で被災
1954年6月7日 国(旧文部省)が学術研究資料として買い上げ
1956年7月 東京水産大学の練習船に改造、船名を「はやぶさ丸」と改名、母港は千葉県館山市の館山港
1967年3月 廃船で解体業者高山興産に払い下げ
1967年11月 船体の所有権が山田商店に移る エンジンは解体業者から売却され貨物船「第三千代川丸」で使用
1968年3月19日 東京の夢の島に放置された船体を有志が山田商店から買い取る
1968年7月21日 「第三千代川丸」三重県御浜町の沖で霧のため遭難、沈没
1970年2月 船名を「はやぶさ丸」から「第五福龍丸」に戻す
1974年10月 船体を東京都に寄付
1976年6月 東京の夢の島に都立「第五福竜丸展示館」落成、保存公開される
1996年12月2日 沈没した「第三千代川丸」を引き上げ、エンジン保管
2000年1月22日 エンジンが「第五福竜丸展示館」に届く
 (頂いた資料などを参考に作成)