竹田昭彦日誌(#28)6月05日(火)
〈 第五福竜丸の古里 串本町 〉
 第五福竜丸の古里、串本町の訪問です。
 東京の夢の島に保存された第五福竜丸は、和歌山県串本市古座町(旧古座町)の古座川の中州にあった古座造船所で建造されました。
 先日(5月14日)、串本町行進のときは、建造地に記念碑のあることを知りませんでした。その後、存在を知り、勇んで見に行きました。
 宿の和歌山市から串本町までは、はるかに遠く、特急くろしお1番列車(8時55分発)に乗り、古座駅まで、2時間15分(2時間15分着)かかりました。駅員に碑の場所を聞き、雨天のなか10分ほど歩いて着きました。
 碑を見るなり、なつかしさが込み上げました。5月6日、「東京→広島コース」出発のとき第五福竜丸を見ていたからです。
「第五福龍丸建造の地」案内の石碑(中央左奥が記念碑)
 碑の場所は、古座川の右岸で、河口に架かる古座大橋(国道42号線)のたもと左側です。橋には歩道がなく、車などで和歌山市方面から新宮市方向に通ると、古座大橋を渡る直前の左側に小公園があり、案内の石碑と「古座川」の標識が見えます(写真上)。
「第五福龍丸建造の地」碑の前で記念撮影
 運よく、橋は工事中で、車は海側車線の交互通行でした。交通整理作業を待つ人がおりましたので、平和行進で記念碑を見に来たことを話し、デジカメのシャッターをお願いしまと、こころよく受けてもらいました。そのうえ、規制中の車線を歩かせてもらい、橋の中央まで行き上流の写真を撮ることができました。
 古座造船所は、橋から約500百b上流の古座橋(県道276号線)下の中州にあったのです。今は、その中州も造船所もないので、当時のあたりを想像し、第五福竜丸の誕生に思いを寄せました。
「第五福龍丸建造の地」碑
   
 その後、近くにある串本町古座分庁舎(旧古座町役場)を訪問しますと、運よく、第五福竜丸や記念碑に詳しい、教育委員会の担当者にお会いすることが出来ました。知りたいことを伺い、資料を頂きました。胸が膨らみ、旧役場を訪ねてよかったです。
 頂いた資料を手に古座橋を渡ってみると、度重なる洪水で中州が変形し、当時の中州が川となり、面影がありませんでした。けれども、第五福竜丸の太平洋に出て行く雄姿を想像するの十分でした。私の最初の仕事は、八戸港のサンドポンプ船(浚渫船)による埋め立て工事でしたから、イカ釣り漁船や、遠洋漁船が出港するのを日々見ていました。それと重ね合い、太平洋へ視線が走りました。
 古座駅に戻ると、乗るはずだった13時17分の串本行きは、とうに出ていました。つぎの便は14時55分で、1時間ほど待つから、近くのAコープでサンマ寿司を買い、昼食にしました。