竹田昭彦日誌(#10)5月15日(日)
〈 誇りの “非核平和宣言都市” 深川市 〉
 今日は、深川市の平和行進と交流集会です。 
“非核平和宣言都市” 塔の前で平和行進出発集会=深川市役所
 午前10時過ぎ、深川市役所前広場の “非核平和宣言都市” 塔で平和行進出発集会が開かれました。
 深川市の平和行進は、この塔から出発するのが伝統です。
 塔は、市民の原水爆禁止運動により、市が非核平和宣言都市宣言を1985年に議決、建立した平和運動のシンボルです。
 また、深川市の平和運動推進協議会は、毎年8月6日に市民が塔の広場に集まり、広島の原爆投下時間に黙祷を捧げ、非核平和宣言都市記念式典を行っています。昨年で25回目になったそうです。
 深川市は毎年中学生2名を被爆地へ派遣しています。昨年は長崎市平和祈念式と青少年ピースフォーラムに参加しました。
 行進へ移るとき、私あてに多額の募金をくださった方がありました。誠にありがとうございます。
高齢のご婦人(左から2人目 80歳)が平和行進=深川市
 行進は、深川市役所を出発し、市役所前の通りを深川駅方面へ進み、駅前を越え、深川市ふれあい会館まで歩きました。
 行進者には80歳のご婦人がおられ、励ましを頂きました。身内に戦没者はいないそうですが、お話を聞きますと「原爆をなくすこと」「戦争をしないこと」への思いを強く感じました。
 ふれあい会館では、交流集会が開かれました。
 地元の方たちは、参加者が例年より少なかった事が気がかりで、今後を心配していました。
 私は1人とか、2人とかで行進した自治体もあった体験を話し、人数の多少の評価だけではなく、続けることが大切だと発言しました。
 過去の行進で、予定した当地の参加者が1人もなく、宣伝カーの後ろで1人行進した事が2回ありました。1人で行進しても、必ず手を振ってくれる人があり、見ている人、家の中で聞いている人があったからです。
 平和行進53年の歴史は、タンタンとは進まず、草の根運動で粘り続けてきたことが、国連を動かすまでになった思います。
 今日の行進は、15人参加で出発集会を開き、8人で1.9q歩きました。