竹田昭彦日誌(#73)7月20日(火)
〈 出発集会を準備する 熊谷市役所 〉
 今日は、熊谷市の行進です。 
出発集会の準備をする熊谷市役所職員=熊谷市役所
 朝、行進出発場所の熊谷市役所へ早めに着くと、市の職員がリヤカーで椅子やカラコン(場所確保用の標識)などを運び、玄関前で出発集会の準備をしていました。椅子の準備は、参加者に高齢者が多いので、その配慮でした。平和行進の歴史は、市民と市役所が一体となって進めてきたことを知りました。

「戦災者慰霊之女神」=熊谷市・星川通り

 熊谷市は、第2次大戦終戦前日(1945/8/14)の夜から、終戦当日の未明にかけ、米軍機B29に空襲され、死者266人、市街地の74%が焼失しました。最後の空襲地です。行進した星川通りは、中央に川が流れる繁華街で、ここだけで100人が死んだといわれます。「戦災者慰霊之女神」が建立してありました。
組立式「非核平和都市宣言」塔=熊谷市・江南行政センター
 熊谷市江南行政センター(旧江南町役場)に建てられた「非核平和都市宣言」塔は、構造をよく見ますと、ステンレス材を使った組み立て式で、看板を取り付けたり、垂れ幕を下げたり、多目的用のしっかりした造りでした。特注ではない、汎用のすぐれ物に見えました。各自治体で設置するときの、参考になると思いました。
     
 

「平和遺族会」のメンバーと記念撮影(右から)新井和子さん、上田厚子さん、筆者、上田美毎さん=熊谷市・大里行政センター

 
    午後の熊谷市大里行政センターからの行進には、私が所属する「平和遺族会」のメンバーが参加しました。地元の新井和子さん、千葉県の上田美毎さんと上田厚子さんです。嬉しい限りでした。
 今日の行進では、参加者48〜25人前後で3ヶ所延べ7.1km歩きました。