竹田昭彦日誌(#45)6月24日(火)
手に持つ旗 草の根運動を引き継ぐ
母と娘で平和行進50周年記念の寄せ書を持って平和行進=砥部町
 今日は、砥部町役場、東温市役所の訪問と、東温市の行進です。
 砥部町役場訪問では、旧海軍の生き残りと話す82歳の方とお会いしました。通信兵で、終戦を高知県の土佐久礼(中土佐町)で迎えたそうです。終戦が延びていたら、生きていなかったと言います。四国は、沖縄に次ぐ本土決戦の場とされ、迎え撃つ準備を急速に進め、兵力を動員していたのです。米軍は、9月10日に決戦する作戦だったようです。
 その方は、役場への要請の席で自分の戦争体験を話し、戦争をしてはいけないと力説していました。そして、岩国へ米軍の空母が入ってくる、軍事力強化の危険があるから、役場が戦争準備に反対し、敏感に平和への啓もう活動をして欲しい、と訴えていました。私もその通りと思い、横須賀を母港とする米海軍空母の艦載機59機が、岩国基地で訓練する意味合いを話しました。
 地元から出席した人たちは、予定になかった砥部町内を行進をすることにしました。お母さんと小学2年生の娘さんが持つ、新婦人の寄書「平和行進50周年記念四国1周」が輝いていました。
伊予鉄の「横河原駅」で出発集会をする東温市の平和行進
 東温市の行進は、市役所から少し離れた伊予鉄線・横河原線の終点「横河原駅」前からの出発でした。 
歴史ある「愛媛県重信町平和委員会」の旗を 持って平和行進=東温市
   合併で東温市が生まれる前の旧町名、重信町の名前を書いた「愛媛県重信町平和委員会」の旗を持つ二人の婦人がおりました。この旗も、その町の平和運動の誇りです。大切そうに持っていました。
 行進が終わって分かったのは、伊予鉄線に沿って行進し、「横河原駅」から四つ目の「牛渕駅」で終わり、そこから電車に乗って「横河原駅」に戻る方式でした。行進途中で、「今、電車が行った」と、の声を何度も聞いたのは、戻る電車のタイミングを見ていたのです。本数が少ないのでしょうか。
   愛媛県の行進は、役場から出発して、役場へ戻るコースが多いです。車などを、役場の駐車場に置いてあるからです。地域により、歴史を重ねた色いろな方式があるものです。平和行進50周年の歴史は、そのとき、そのときの情勢と「草の根運動」の思いが込められているのです。
 今日の行進は、砥部町内を参加者11人で1qを、東温市内を参加者27人で3.5qを歩きました。砥部町長さんからはペナントを、東温市長さんからは募金とペナントを、同議長さんからは募金をいただきました。