竹田昭彦日誌(#44)6月23日(月)
米軍下の松山空港管制権
愛媛県知事への要請行動で、原爆被爆パネルを見る総務部長(後ろ向き)
 今日は、愛媛県庁、松山市役所、久万高原町役場の訪問と、久万高原町の行進です
 県庁を訪問すると、報道陣が見えており、テレビカメラも4社ありました。これまでの自治体訪問と違う様子です。行進団側も16人の参加で、横断幕、ペナント、原爆被爆パネルを持って応接室へ入ったので、大いにアピールできたと思います。
 応対された総務部長さんは、原爆パネル展開催を要請する説明のときに、パネルを手にとって見られました。報道陣に公開して行った応対にふさわしく、ぜひ、核兵器の廃絶に向けた平和行政を大きく広げて欲しいと思います。
 県議会訪問は、委員会開催中とのことで、係官が応対されました。要請内容を話し、議長さんへの伝達をお願いしました。
松山市長・議長さんへの要請行動(右側のテーブルが市役所の幹部)
 松山市役所訪問では、市長部局と議会事務局が合同の応対でした。ここでは、松山空港の進入管制権が米軍に握られていることが問題になりました。横須賀の米海軍空母の艦載機59機が、岩国基地移転となれば、危険きわまりなくなるからです。市の認識は、甘かったようなので、外野の私も発言しました。厚木基地周辺の自治体は、59機が岩国へ移っても、日常訓練があり騒音や事故がなくならないことで、米艦隊の横須賀母港の返上を決議していること。そのようなことで、米軍は訓練エリアを岩国基地、宿毛港、土佐沖のリマ海域に強化しようとしていると、話しました。早めに対応しないと、軍事はどんどん強化されます。制空権の返還を強く要求しないと、取り返しの出来ないことになります。
久万高原町を平和行進
 久万町行進の出発集会では、役場前に町職労組がマイク設備を用意されました。
 そして、平和行進のスローガンが高々と読み上げられ、海外へ送る折り鶴を託されました。行進にも、多数参加しました。久万高原町は、久万町、面河村、美川村、柳谷村が2004年8月に合併して生まれた新町です。標高1000mを超える四国山地に囲まれた高原で、林業振興に力を入れています。
 労組の人に役場の様子を聞きますと、合併後は全体の職員数が大きく減ったと話します。旧村役場は支所となり、4、5人残っているだけだで、最盛期の10分の1だそうです。
 今日の行進は、久万高原町内を参加者20数人で1.5q歩きました。県知事さんからはペナントを、松山市長さんからは募金とペナントを、同議長さんからは募金を、久万高原町長さんからは募金とペナントと署名を、同議長さんからは募金と署名をきました。