竹田昭彦日誌(#88)8月01日(水)


〈被爆者が多い呉市〉

広商店街を行進=呉市・広
 今日の行進は、呉市のJR呉線の仁方駅から呉市役所までです。
 東京・夢の島の「第5福竜丸展示館」前を出発して、88日目です。1ヶ月を過ぎたころから、日の経つのが早く感じるようになりました。それは、1日の記憶蓄積量が減るとともに、正確さが薄れてきたからです。記憶した出来事が、昨日のことか、1昨日のことか、区別がなくなってきます。3日分の出来事が、1日の出来事のように思えます。毎日の行動パターンが、行進の繰り返しであることと、疲労の蓄積による現象だと考えられます。
 3日分が1日分のスピードに感じ、日の経つのが超早いです。「便利」と言えば「便利」です。そこで欠かせないのが、毎日の時分刻みのメモと、それをたよりに書く日記です。メモも、歩きながら書くことが多く、後で判読できず、思い出すのに苦労します。
 いずれにしても、あと3日でゴールです。
 なお、日記はパソコンのエクセルで書いています。これは、日々の距離の累計が自動的にでき、便利です。
交流会・夕食会=呉市・森田食堂
 今日の行進が終わった夕方から、呉市の平和行進の人たちと交流する、夕食会に招かれました。地元の人の馴染みの食堂を借り切り、15人ほどの参加でした。毎年、通し行進者を招き、呉の平和運動の紹介や、通し行進者からの体験を聞き、活力にしているそうです。参加者全員が発言し、「冗談」が飛び交い、心がかよう楽しい交流会でした。呉市ではじまった平和行進の、最初からの参加者もおられました。
 ここで教えてもらったことには、呉市在住の被爆者が、広島市、長崎市に次いで多いということでした。それは、広島市へ身内や親戚の安否をたずねて行った人が多くあり、入市被爆したからです。また、呉の軍の関係者も調査などで広島へ行き、入市被爆をしています。
 呉市に登録された被爆者は、約5千人だったそうです。既に亡くなられた人もありますが、現在でも約3千人おられます。
 入市被爆者は、本人が黙っていれば他人に知られないで済むことから、いまだに名乗り出ないで苦しむ人も多いと言われます。
 今日の行進参加者は、各区間により30〜40人でした。歩いた距離は14.5qです。