竹田昭彦日誌(#72)7月16日(月)


〈兵庫県から岡山県へ引継ぐ〉

引継ぎ式で報告をする西岡幸利兵庫県平和行進実行委員長(右)
 今日は、兵庫県から岡山県へ引継ぐ日です。行進は、兵庫県側が赤穂市です。正午過ぎには岡山県へ引継ぎ、備前市の行進です。
 昨夜は、私の他に、兵庫県内の通し行進者や、岡山県から出迎えに来られた2人を含め、12人が民宿に泊まりました。いろいろな話を聞くことができ、たいへん有意義でした。
 毎日の宣伝カーの運転は、建交労(全国建設交運一般労働組合)の人たちでリレーされ、行進団の後につく救護車(ライトバン)は、兵庫民商の人たちでリレーされていることを知りました。
 ここで思い出すのは、被爆50周年の1995年8月、「反核平和マラソン東京・長崎1500q」に参加したとき、神戸市から岡山市まで、民商の人たちに、給水・給食や輸送などのサポートをしていただいたことです。その年の1月には震災があり、厳しい状況でもありました。夕暮れ、岡山市役所で別れるとき、ご苦労に涙したことを覚えています。
募金箱を持ち「北条りき」のタスキで参加の小学生=備前市
 引継ぎ式は、国道250号線の県境の鳥打峠を1q半ほど下ったバスターミナル(寒河バス停)でした。兵庫県の行進団が着くと、直ぐに引継ぎ式が開かれました。挨拶した西岡幸利兵庫県平和行進実行委員長は、被爆者救援の沿道募金が総計50万円に達したこと、行進の延べ参加者が昨年より20%増えたことなど、報告されました。
 式は、到着後15分で終わり、直ぐに岡山県の行進がはじまりました。私は行進に参加せず、車中で昼食をとり、次の休憩場所から参加するとのことでした。岡山の第1歩に参加できず、残念でした。兵庫県側で、昼食を済ませていた方がよいと思いました。
 岡山の行進に参加すると、しばらくして雷雨となり、びしょ濡れになりました。午前は台風一過で照っていたのに、梅雨あけは先のようです。
 この行進で驚いたのは、小学3年生が「通し行進のタスキ」を掛けていたことです。自分の名前も書いてありました。昨年も歩いたと言います。どうなっているのでしょうか。
 今日の兵庫県の行進参加者は、区間により70〜100人でした。歩いた距離は10qです。
 私が兵庫県内を歩いた距離の合計は、延べ10日間で216qです。1日平均21q余になります。
 東京から今日(兵庫県)までの総計は、1,131.7qになりました。
 赤穂市の行進では、市長さんからメッセージ(副市長代読)と、議長さんから歓迎と激励の挨拶をいただきました。
 岡山県側の行進参加者は、120人前後でした。歩いた距離は16qです。
 備前市の日生総合支所では、支所長さんから歓迎と激励の挨拶をいただきました。