竹田昭彦日誌(#20)5月25日(金)


〈行進初参加者が沿道募金を見て感激〉

カッパや傘で雨天の行進
=静岡市葵区
 今日の行進は、静岡市葵区、焼津市、大井川町です。
 雨降りが1日中続き、カッパも雨を通し、Tシャツまで濡れました。梅雨はまだなのにめずらしいことです。地元の年輩の参加者は、一番茶摘みが終わり、このころになると雨降りが多いと話し、何度も雨降りがあったそうです。
 午後の焼津市行進では、初めて参加したという、米国籍の日本人(72歳)がありました。私とリレー横断幕を持って歩いていると、家から出てきた婦人が募金されました。目前で見た彼は、「本当だ!」、「見てみないと分からない」と目をまるくしていました。慣れ気味になっていた私も、熱くなりました。
 工場の前でも、若い女性3人が、行進を待っていました。地元の人がお願いしてあった募金封筒を持っています。その通りを、平和行進が何日の何時ころに通ること、そして、募金のお願いを知ったときから、人びとの心が動きます。その過程を想像しながら、雨の顔に笑みがこぼれました。
弘徳寺本堂で学習会=焼津市
 静岡県の行進では、学習会があります。今日は、神奈川県から引継いだ初日(19日)に次ぐ2回目です。場所は、焼津市の弘徳寺本堂です。弘徳寺には、ビキニの水爆実験で被爆され、亡くなった、マグロ漁船第五福竜丸の無線通信士久保山愛吉さんがねむっています。
 先生の話は、水爆実験の放射能被害を受けた、第五福竜丸が、知恵と力を振り絞って、米軍の監視下から脱出し、日本へ帰り、水爆の恐ろしさを告発した世界史を塗り替える壮大な史実でした。学習会は、昼休みの短時間でしたが、乗組員が、帰国翌日に死の灰を持って東京の東大へ行った、機敏な行動の詳細も話され、話に吸い込まれました。そしてまた、原水爆反対の世論の声が高くなると、乗組員への嫌がらせ、第五福竜丸を教材に取り上げる中学校の先生の強制転校など、逆流の嵐の具体的な事例も聞きました。
 米国のビキニ水爆実験では、数100隻を越える日本のマグロ漁船が被害を受けましたが、その中で、第五福竜丸の果たしている偉大な役割がよく分かりました。帰国後の第五福竜丸は、改造・改名され、廃船にされ、エンジンなど海に捨てられましたが、それを探し出し、東京の夢の島に保存・展示した日本人の平和の心も、英雄的だと思います。
 今日の行進参加者は、区間により30〜60人でした。歩いた距離は16q、沿道募金は雨天にもかかわらず、35,000余円いただきました。行進と並行し、別行動で訪問した清水市長及び議長さん、静岡県知事及び議長さんからは、ペナントや賛同金を代理の人からいただきました。この別行動には私も参加し、平和行進が通ると、家から出てきて、挨拶する人の多いことを話しました。焼津市役所訪問では、市長さんからメッセージ(代読)をいただきました。