竹田昭彦日誌(#16)5月21日(月)


〈第1回目から歩いた北川照子さんと行進する〉

富士山を背に御殿場市を行進
 今日の行進は、御殿場市と沼津市です。
 御殿場市の行進は、「国立中央青少年交流の家」前から出発し、市役所の方向へ歩きました。晴れた朝の富士山はすっきりと見え、空気もひんやりし、身体が引き締まる気分でした。富士山を背景にした行進の写真を撮りましたが、必ず電線が入ってしまいます。地元の人から、街頭からは絵になる写真が撮れないよ、と言われました。まわりを見てみると、富士山を背景にした電線のないアングルがありません。
 行進する道路の両側は、米軍海兵隊の基地「キャンプ富士」と自衛隊の「滝ヶ原駐屯地」が続きます。富士演習場の一部です。「キャンプ富士」のゲートでは、米兵が、私たちを写真に撮っていました。気にしていたのでしょう。
 富士演習場は、広大な面積で、静岡県の御殿場市、裾野市、小山町、山梨県の富士吉田市、山中湖村にまたがります。静岡県側を東富士演習場、山梨県側を北富士演習場と呼び、区分していました。
募金をする沿道の人=沼津市
 地元の人たちや自治体は、富士山を世界遺産にしたいが、富士山へめがけた射撃訓練で、富士山の裾野を破壊しているので、世界遺産にならないそうです。日本人のシンボルを、日米政府が一緒になって、だいなしにしているのです。美しい富士山を見ながら、富士山も泣いて、怒っているだろうと思いました。
 沼津市の行進では、1958年の第1回目の行進のときに歩いた、北川照子さん(富士宮市在住)にお会いしました。え、と思い、胸が熱くなりました。何を伺ったらよいのか、興奮してしまいました。はたち前で、沼津から三島の間を歩いたそうです。東海道が、延々と2qも続く行列だったといいます。翌年は、自転車の行進も組織され、沼津から熱海まで行ったそうです。当時、平和行進が50回も続くとは、思ってもみなかったと話されます。その後も、行進参加を続けられ、地元の世話役の重鎮です。行進の回数が増えないうちに、早く、原爆をなくしたいと願っていました。
 沼津市の旧東海道では、募金を封筒に入れて行進を待っている人が多くありました。行進の世話役の人たちが、事前に募金のお願いをしていたそうです。
 今日の行進参加者は30〜50人ほどでした。歩いた距離は11.5qで、沿道募金は36,000円余です。御殿場市役所と沼津市役所訪問では、市から激励の挨拶をいただきました。