竹田昭彦日誌(#13)5月18日(金)


〈先頭を歩く被爆者に励まされ〉

小田原城での休憩風景
 今日の行進は、小田原市と真鶴町です。
 毎日、行進の先頭を歩くのは、「神奈川県原爆被災者の会」のタスキを掛けた、原爆で被災した人たちです。人類が、三たび原爆を使ってはならない、原爆を無くしたい、その思いと訴えが、誰よりも強いのは被爆者です。私は、その後を歩くことが多く、いつも励まされています。
 被爆者の皆さんが高齢になっており、行進参加は、体力的にたいへん厳しいと思います。そして、被爆したことを公に名のることは、更にたいへんだと思います。就職、結婚、病気など、周囲から冷たい目でみられてきた経緯があるからです。
 今年の行進で、はじめて行進へ参加した被爆者がおられました。そして、みんなの前で、はじめて被爆体験を話した人もおられました。自分たちの生きているうちに、原爆を無くしたい強い思いです。
 私の参加は、戦没者の遺児として、戦争はいやだ、再び戦争を繰り返すな、との思いからです。そして、原爆を無くすことが、戦争を無くす根本になる、と思うからです。
出発集会などの挨拶では、遺児で厳しかった生活など話し、戦争反対を訴えるようにしていますが、具体的な話をすると、胸が詰まってきます。
 今日の午後、真鶴町役場訪問での挨拶では、私の兄弟4人のうち、姉(小6年)と、2番目の私(小4年)が、食いぶちを減らすため、父の実家にあずけられた話をしました。母と別れ、寂かった話しにふれると、声が詰まってしまいました。つらかったことを、さらりと話せません。被爆者が体験を話すことは、私が遺児の体験を話すより、何倍もたいへんなことと思います。それを乗りこえて頑張っておられるのです。
「ピースリレー」の横断幕を持って歩く生協の人たち
 神奈川県の平和行進は、被爆者、原水協、生協(ピースリレー)の連携で行っています。生協の人たちは、婦人の参加者が多くみられます。そして、休憩場所に生協店舗前の広場提供や、冷水の提供をされています。飴をもらったり、買い物もできるので、楽しみにしています。
 「原子力空母は 来るな!」の10mの縦断幕は、多くの人がよく見ています。効果抜群です。大きな幕を物を持って歩くのは、車などにふれる危険性もあると思っていたが、毎日使ってみると、安全なことがわかりました。子どもたちの「電車ゴッコ」的な要素があります。幕を一列に持つので、隊列が整い、前後の人の間隔も乱れません。お巡りさんも「認知」しているようで、苦情を言われたことがありません。
今日の行進参加者は50〜80人で、延べ150人ほどでした。歩いた距離は8.5qです。小田原市長さん(幹部職員のメッセージ代読)と真鶴町長さんから激励の挨拶をいただきました。