竹田昭彦日誌(#12)5月17日(木)
〈二宮町役場で議長さん達と「ガラスのうさぎ」の歌を歌う〉
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「ガラスのうさぎ」の歌を歌う議長さん(中央) |
今日の平和行進は、平塚市、大磯町、二宮町です。
夜半から雨が降り続いています。出発場所の平塚市役所には、長靴にカッパを着た人たちが続々と集まってきました。平塚市は、1945年7月16日の空襲で、大きな戦災を受けました。雨にも負けず、約150人の市民が集まり、平和にたいする意識が強いと思いました。挨拶された大蔵律子市長さんは、「アイラブピース・ひらつか」をキャッチフレーズに、7月中旬から8月中旬までを平和月間と定め、市民平和の夕べ、親子を広島に派遣するなど行っていますが、何よりも行政と市民が一緒になって、不断の努力が大切だと、力説されました。
私は平塚市へ、マラソンを走るため総合公園へ何度も来ており、なじみの市です。有名な平塚駅前の七夕通りも行進しました。マラソンで知り合った人も、行進に参加されました。
午後の途中から雨が上がり、陽が照ってきました。気温が急上昇し、みんなが、暑いあついと言い出しました。最近の天気は、気温の変化が激しいです。
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JR二宮駅前に建立された「ガラスのうさぎ」像 |
二宮町役場では、役場の人たち10数名が、玄関で出迎えられました。これまでの役場訪問で、初めての出来ごとです。嬉しくなってきました。歓迎の挨拶などが終わると、みんなで「ガラスのうさぎ」の歌を歌いました。議長さんにもマイクがまわり、張りのある声でした。この歌を歌うのが、歓迎集会の慣例だそうです。
「ガラスのうさぎ」とは、終戦直前の1945年8月5日、国鉄(JR)二宮駅周辺が米軍艦載機P51の機銃掃射を受け、目前でお父さんを失った12歳の少女が、その悲しみを乗り越えて生き抜いた戦争体験記です。残ったガラス製のうさぎが、お父さんの形見です。
「ガラスのうさぎ」は、国民の感動を呼び起こし、戦争の悲惨さを強く印象づけました。二宮の町民たちは、平和の尊さを後世に伝えるため、多くの人たちの協力を得て、二宮駅前にガラス製のうさぎを抱いた少女の像を建立しました。「ガラスのうさぎ」像は、二宮町の平和のシンボルです。
今日の行進参加者は60〜150人、延べ250人ほどでした。歩いた距離は11.5qです。各自治体の首長さんから、激励のメッセージをいただきました。
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